先日紹介した、御田寺圭氏のコラムの過去のアーカイブを読んでいたら、「真の男女平等」を的確に表現したコラムがあったので、紹介しておきます。


「男性は何かをする必要がある」ジェンダー平等を謳いながらそんなツイートをする国連女性機関の時代錯誤


このコラムの内容を端的に表現するとすれば、男女平等とレディファースト(女性保護、女性優遇)は並立しない、でしょうか。


「男女平等」という男女ともに反論の困難な「錦の御旗」を掲げて、実質的には「女性の権利拡大、優越的地位の拡大」をやってきた人たちがいます。

そして、正直に「女性の権利拡大、優越的地位の拡大」を主張したら、少なからぬ男性やフェアプレイを尊ぶ女性の反感を招くので、反論を封殺する手段として「男女平等」という「錦の御旗」を掲げた側面があると思います。


上記コラムにもある通り、そんな運動を推進した彼らの誤算は、女性にとって都合の良い部分は「男女平等」で拡大しつつ、3K労働や家計負担など「男性が男性であるという理由で押し付けられてきた責務」は「女性だから免責される」というダブルスタンダードが通用する、と思っていたことです。

しかし、「男女平等」が拡大した社会では、文字通り「男女平等」に社会の責務を担うべきだという論理となり、その結果、当たり前に遂行を求められる「男女平等の責務」を「女性いじめ」だと曲解している人がいる、と言えます。

コラム本文の言葉を借りると、


 ようするに「女の子を殴るなんて男のすることではない」という(男性のマッチョイズムに依存した女性に対する性差別的な)規範を解体した結果「女だからといって男と同じように殴らないのはフェアではない」とフェアに殴打する男たちが増えていったということである。(コラム5Pより引用)


語の厳密な意味における「男女平等」が実現しつつあるのです!


 繰り返し強調するが、これは女性差別の拡大でも女性蔑視の発露でもミソジニーの蔓延でもない。「社会正義」に燃える人びとが「啓蒙」に励んできた成果がいよいよ顕在化してきているのだ。自分たちが望んだ男女平等な世界ハッピーエンドがいよいよやってきたのだと、堂々と胸を張るべきだ。憤ったり嘆いたりする必要がどこにあるのだろうか。(コラム6Pより引用)


長年希求されてきた「男女平等」社会が実現しつつあるのです!男女とも、心してその社会で生きていかねばなりません!!




P.S.

平等とは「結果の平等だ」とする主張に、先に反論しておきます。

日本における「平等」という言葉は、一般的には「機会の平等」と認識されています。「結果の平等」は「下駄を履かせる」「優遇する」と考えられています。

また「結果の平等」を実現するには、最初の状態の公正な評価が不可分ですが、ここに評価する人間の恣意性が介在する余地があり、多くの「不平等」が生まれています。

更に「結果の平等」という理念は、能力ある人間のサボタージュをもたらし、社会が停滞する要因になることが、20世紀に行われた壮大な社会実験で示されています。

それでも「結果の平等」を目指す価値は何なのでしょうか?

P.S.2
自分の都合に合わせて「機会の平等」と「結果の平等」を使い分けるダブルスタンダードは、一般的な良識ある人々には通用しないと思います。