どこぞの大学の大規模な「女子枠」の話が出た時に、なんか発想が「昭和のオヤジの考え方だな」と感じていたら、それを端的に言語化したコラムがあったので紹介しておきます。

「聡明な女性だから叩かれるんだよ」男女平等を装って実は見下している…"ヨシヨシ爺さん"の罪深さ

相手を対等な存在だと認識していたら、「別枠で優遇する」なんていう発想は出てこないと思うのですよ。対等な相手に「ハンデつけようか?」などと提案するのは、相手に失礼この上ないから誰もやらないでしょう。結局、相手を見下しているから「優遇してやろう」という考えが出てくるのだと、自分は推察します。

また、上記のコラムの4ページにある次の文章のように、若い世代ほど「問答無用のフェアネス」を持っているように思います。


(以下、コラムより引用)

他方で、現在の若年男性――具体的に年代をいうなら令和5年現在で39歳以下、つまりゆとり世代以下の男性たち――が内面化しているのはどちらかといえば「女性だからといって話を聞かないなどもってのほかだが、かといって無条件に支持したり応援したり賛同したりするのではなく、まずは男性と同じ俎上にあげてフェアに批評する」という態度である。問答無用の融通の利かないフェアネスだ。世代が下になればなるほどこの傾向は顕著になる。

どちらかといえば「ヨシヨシ爺さん」よりも若い男性が持つ態度の方が本来的には男女平等なのだが、これは女性に対しても厳しい批判や非難を遠慮なく向けることと表裏一体であるため、いままで「ヨシヨシ爺さん」から享受してきた有形無形の甘やかしこそが「男女平等」だとナイーブに考えてきた女性たちにとっては、若い男性の態度は男女平等どころか「ミソジニー」「女叩き」と思ってしまうこともあるのだろう。

だがこれだけは言っておきたい。世の中に聡明な女性やモノ言う女性が本当に現れたときに、それを正当に評価して肯定したり応援したりできるのは、女性のことを甘やかすことばかりが自己目的化しておりその人が言っていることなど実はなにも真剣に聞いていない「ヨシヨシ爺さん」ではなく、女性だからとゲタを履かせたりしない次世代の若い男性たちであると。

(以上、コラムより引用)



こんな、真の意味での「男女平等」の思想を身に付けた現代の受験生世代に、「男性差別」を押し付ける「女子枠」は、少なくとも国公立大学がやることじゃないだろう、と自分は思います。(私立大学は私立であるがゆえに、好きにすればいい)