表題は、木戸孝允(桂小五郎)の死に際の言葉と言われています。(木戸孝允が、大抵にしてほしかったのは、西郷どんです)

・・・中学受験後の保護者の方々のブログを拝見していて、中学受験後も衰えない子供の教育に対する熱意(?)に感心すると同時に、表題のような気持ちになる時があるのもまた事実です(苦笑)。
学校の定期テストで良い点を取ろう、英検を受けてみよう・・・短期的な目標を設定して、それに向かって急かすのも良いのですが、大局的に何を実現したくて、目先の試験の結果に拘るのかな?と思うところがあります。

というのも、これを書いている自分は、中学高校時代に目先のテストの結果にこだわる母親と「闘争の日々」があったからです。(ちなみに父親は無関心(笑))

「学校の定期テストは、そもそも大学入試には繋がっていない」
「学校が強制的に受けさせる進〇模試は試験自体がゴミ、試験も判定も意味がない」
「受験勉強は、センター試験と2次試験の2回の試験で合格点が取れることが全て」
「その為に自分で計画を立て実行している」
「力を入れる所と手を抜く所を作ってこそ、効率的に勉強ができる」

など、何度も説明し、結果も示した(3大予備校の模試の成績などは良かった)にも関わらず、自分の母親が本当の意味で「納得」することはなかったです。
今にして思えば、学業に対して手の抜けない人生をやってきた母親(基本的に真面目)だったので、「目先の結果に拘らない」という考えが、そもそも受け付けられなかったのだろうと思います。
でも「目先の結果にこだわれ」と指示するなら、それが大局的にはどういう意味があるのか、指示する側にビジョンを説明する義務があるのではないのかな?と思います。



そんな自分の母親を反面教師にしているので、自分は基本的に「本人任せ」にしています(「本人任せ」に対応できるぐらい自律しているから、成り立っているやり方なのは否定しません)
中学に入った時に、子供に中学高校での勉強の指針を聞かれたので、自分はこう答えています。

・大局的には「高2の終わりに」一通り演習が終わり、共通テスト・2次試験の合格最低点が取れることを目標にすると良い。
某・物量勝負系大学受験塾も高2でそれくらいの学力に到達することを目標にしている。そこから高3の1年をかけて「本番で失敗しても合格点を越える」ように演習を積むのが、私立の中高一貫校の大学入試の「必勝法」だと考える。
ただし、中高一貫校と言えど、高2で一通りカリキュラムは終わっても、演習までは充分には終わらない。学校で学習することをベースに、不足する演習を自分に合わせて足していけばよく、別に塾や予備校は無くても良い。

・中学の内容をやっているうちは、「苦手科目を作らない」を第一の目標にすると良い。
中学の内容が完全に理解できていないと、高校の内容に入った時にお話にならない。「苦手科目がない」のは大学入試はもちろん、人生全般を通して楽ができる。分からない部分は、分かるところまで戻ってやり直すのが効率が良い。

・計算力と読解力はどこまでも必要。日々の研鑽は怠らない方が良い。
入試に限らず、日本の試験はとにかく試験時間が短い。筆頭は大学入試共通テストで、年々酷くなる。時間が足りない?問題が多い?だったらそれに対応するため、処理能力を上げておくしかない。
「考えないでできる動作」を増やしておくと処理能力は上がる。その為にやることは、式の変形を脊髄反射並みの速度でできるよう訓練する(数学)、考えなくても意味が分かるように単語の意味を覚えておく(国語、英語)、などが有効であると考える。



ぶっちゃけ、大学入試のアプローチってこんなもんじゃないの?と自分は考えています(笑)。あとは自分で考えて試行錯誤すれば、出だしは遅れても最終的には効率よく学習できるようになるよ、と子供には伝えてます。