*本稿は、学校関係者でも受験産業関係者でもない、一般人の個人的な感想・妄想であることを最初にお断りしておきます(笑)。

本の紹介・感想というより、個人の妄想になったのでタイトルを変えました(笑)。

本の紹介のようなものはこちらです。
「東大合格高校盛衰記」にも随所に書いてありますが、東大に合格者を出す高校の盛衰として、次のような大きな流れがあると考えられます。

①全国各地に公立の「すごい進学校」が存在した時代があった。

②「公立のエリート校があっていいのか」という「ルサンチマンを煽る勢力」が社会的影響力を持ち、「できる生徒」が特定の公立高校に集まらないようにする制度変更が全国各地で実施された。(小学区制・学校群制度・合同選抜など、生徒の居住地により進学する高校が制限される制度)

③制度変更により「できる生徒」がいろいろな公立高校に「広く分散化」され、かつ同じ高校内では学力の「玉石混合」状態となった。「レベルの高い集団の中で切磋琢磨すれば伸びる生徒」が伸びなくなり、結果として(東大に限らず)公立高校の大学進学実績が悪化する。

④③のような状態を拒絶する「できる生徒」は、有力な私立高校(私立中学)に進学するようになる。以前は「公立エリート校」に進学していた「できる生徒」が私立に入学した結果、有力な私立進学校が大学合格実績で躍進する。

⑤公立高校が衰退したままでいいのか、という②③に対する反動がおこり、公立高校に学区に縛られない特進科の設置、学区制の廃止、公立の中高一貫校の設置が各地で行われる。

⑥⑤の結果として、公立高校の進学実績の持ち直しがおこり、各地で「できる生徒」の公立の受け皿が少しはできた。同時に「他県の優秀層を吸収していただけ」の地方の有名私立校の進学実績が、往時の勢いを失ってきた。

公立高校が勝手に自滅し、代わりに私立の進学校が選ばれ躍進した、今はその揺り戻しの途中、といえるでしょうか。身も蓋もないことを言うと、「できる生徒」がどの高校に進学するか、その流れに変遷があっただけともいえます(笑)。


じゃあ、進学校の有無など関係なしに誰が合格するかは変わらないのか、というとそんなこともないと思います。いわゆる「できる生徒」って、大別して2種類いるような気がします。

1⃣周りの環境に影響されない人
能力に恵まれ強い意志で自学できる、合格実績のない僻地の学校からでも合格できる生徒とか、自分で目標を見つけたら、自分で考えて実行して目標達成できる生徒。

2⃣進学校にいたら伸びる人
教員が焚き付けてモチベーションを上げ、学習のノウハウを提供し、周りの生徒と切磋琢磨することで伸びる生徒
 
タイプ1⃣はどこの学校に行っても大勢に影響はないでしょう(笑)。しかし、タイプ2⃣は「できる集団」の中にいてこそ伸びるので、進学校に進めるか否かでその後の人生が大きく変わってくる、そんなふうに自分は考えています。

結局、上記②③の「公立エリート校潰し」によって一番割を食ったのは、ダメになった公立高校を回避して有力な私立高校に進学したり、行きたい公立高校の学区に合わせて引っ越したりできない、「経済的に裕福でないタイプ2⃣の生徒」だったのではないか、と思います。