言うまでもなく個人の感想です(笑)。自分の明らかな読み違い、誤認があればご指摘いただけると幸いです。

自分の中学時代から続く「優れた勉強法への飽くなき探求(趣味)」の為に(笑)、ジュクコ先生こと長谷川智也氏の新刊「自考モードにする中高6年間の過ごし方」を購入して一通り読んでみました。
長谷川氏が「必ずしもやる気があるとはいえない生徒に教える、またはコンサルティングした経験」をなさってきた為か、やる気の微妙な生徒、敢えて言うと「意識低い系」の中高生に、自分で勉強する気にさせるヒントが書かれている本だと自分は思いました。

読者には「中高生の保護者」が想定されていると思います。自分が愛読している和田秀樹氏、最近だと同じジャンルで西岡壱誠氏がいろいろ本を出されていますが、いずれも「やる気はあるけど学習の方法論で迷走している人」を読者と想定して書かれています。今回の長谷川氏の本は、和田氏・西岡氏の著作のような「勉強する本人が読む指南書」ではありません。

本書では、文章やエピソードの至るところに、やる気のない、またはナイーブな学生に根気よく付き合ってきた、長谷川氏の愛情深さを感じられます。いろいろな学生のケースを紹介し、それに対する長谷川氏のアプローチを紹介し、「自分で考えて勉強する」モードに誘導するヒントを提示する、そんな本だと思います。

また、世間的に名前の知られている中高一貫校の「お世話焼き度」分類、子供の4タイプ分類別の解説など、長谷川氏の著作を読んだことがある方には、馴染みのある解説も随所に出てきます。


勉強全体の戦略・戦術論としては、和田秀樹氏の30年前の受験勉強論を令和版にアレンジしたもの、というのが自分の印象です。相違点としては、和田氏の著作が「自分の意志で実行できる人」を暗に想定しているのに対し、長谷川氏はそこも生徒に優しいです。本書では、できない科目の学びなおしについて、何をどうすればいいか、など丁寧に解説されています。

失礼を承知で書くと、中高生時代に勉強「しなかった」から灘中学・高校の中で成績が振るわず、その後自分で勉強法を工夫して東大に入った和田秀樹氏と、白陵中学・高校でスパルタ系の恩師の導きによって「自分で勉強するようになって」東大に入った長谷川智也氏の、中高時代の勉強に関する能力と経験の違いが、本の執筆スタイルの違い繋がっているのかな、と思いました。長谷川氏の方が「できない生徒」に優しいです(笑)。

中高時代の学習の目標としては、「「とりあえず東大」を目指そう(本書p22)」とあるように、東大を念頭においた勉強を提案されています。これは長谷川氏だけでなく、いろいろな方が著作やネット上の記事で書かれていることですが、「「東大に受かる」ための勉強計画がもっとも力を伸ばせる戦略となる(本書p22)」からです。国のカリキュラムが想定している「中学高校教育の到達点」を問うのが東大入試なので、そこに合わせて勉強することで、他の大学の試験でも潰しが効きやすいわけです。
ただ、長谷川氏は「東大至上主義」ではないよ、とも書かれています。以前、ご自身の東大卒の経歴を「馬鹿じゃないよシール」と自伝で評した女史がいらっしゃいました(すみません、出典が探せません)。その女史によれば、東大卒の経歴は初対面の人に「こいつは馬鹿じゃないのね」と思ってもらえる効果くらいはあると長谷川氏も似たようなスタンスのように思いました。とりあえず東大に行って損はないよ、という感じです(笑)(本書p161-162のQ&AのQ「行きたい大学の決め手がない」に対する長谷川氏の回答を読んで、そう思いました)


まとめ
生徒自身が勉強で「自走」を始められるよう、誘導しましょう。
目標は「とりあえず東大」で(笑)。

P.S.
自走しながら、よりシステマティックに「とりあえず東大」を目指す勉強をするなら、次の2冊が参考になるのではないか、と思います。

和田秀樹著
公立・私立 中堅校から東大に入る本(大和書房、2019年)

西岡壱誠著
「学ぶ力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大独学(東洋経済、2022年)