日々、中学受験に関係するいろいろな方のブログを拝見しておりますが、特に御母堂様にとって、ご子息の思考回路が理解できないが故の軋轢が、少なからず見受けられます。

「元」中学受験生男子として、小学生男子の思考回路が分かる部分もあるので(笑)、分かる範囲で弁明を試みたいと思います。


・書くのが面倒

小学生男子にとって、書くことの心理的コストはもの凄く高いです。まず、これは分かって欲しいです。頭の中に既に答えはあるけど書いてアウトプットするのは面倒です。


・天才への憧れ

塾や親が指導する「試験の作法」を無視してもできる生徒がいたりします。自分がそういう天才系でなくとも、マネはしてみたいのです。

これ、大学生になってもやってたりします。難関大学の学生の基本スキルに「試験前に勉強してないフリ」があると言われていますが、これは「自分は努力してできる秀才ではなく、努力しないでできる天才でありたい」という願望が根底にあると思われます。別に秀才でええやん、と思うのですが。


・点数への拘りが実は薄い

問題が解けることが面白く、それを人に認められるのが嬉しい、その反面、点数はその副次的な産物だと思っている部分があります。勝負に勝てれば試合には負けても良い、という感性です。点数や合格への拘りは、周りの大人の方がずっと大きかったりします。


事例1:算数で式を書かない

算数が得意な男子にとって、考える速さは書く速さを超えているので、式を書くのはかなり胡乱な作業になります。また記憶力も高いと、場合分け条件や途中の演算結果も覚えていられます。書かなくてもできるんです!

それでもテストで途中の過程を書いた方が間違いが減って得点が取れる、大人はそう思いますが、「そういう『作法』をやらずとも間違わない自分」になりたい、という思いもあったりします。


事例2:国語の記述問題が雑

長い記述式の解答でも、頭の中で答えが出ていたりするのですが、書くのが面倒です。だから内容を端折りたくなります。端折ってテストで減点、でも気にしないのは、「自分の中では正解に至っていたから」、勝負には勝ったんです!

ちなみに、口で答える場合も同じだったりします。自分の忸怩たる思いを言葉にするのが面倒になった結果、「クソババア」というアウトプットになったりします。


以上、ざっくり思いついたことを書いてみました。精神的に幼いと言ってしまえばそれまでですが、小学生男子には小学生男子なりの、理屈と矜持があるのだと思うのです。