これまでのお話
「地元の中学には絶対に行きたくない」という自分の強い思いから、附属中の不合格に備えて、地元の私立中学も受験し合格していた、というのは昔話8に書いた通りです。
(お金はかかるけど)親にお願いし、その私立中学に進学させてもらうことになりました。

自分が進学した私立中学は、件の附属中の抽選残念組、試験残念組が結構多い学校でした。なぜなら県内には「難関」と呼べる私立中学は存在せず、公立中に行きたくない「残念組の受け皿」はほぼここしかなかったからです。


そんなわけで、その私立中の学内の成績上位は附属中の抽選残念組が多く、自分は上位10%あたりをウロウロしていました。しかし、学内の試験のトップ3は、だいたいいつも「他県の難関私立中の残念組」が占めていました。
彼らは温い県内の中学受験に飽き足らず、他県の難関私立中(浜学園のA判定偏差値的には55〜60くらいの学校)をガチで目指して勉強していた人たちです。
自分も中学入試までそこそこ勉強した「つもり」でしたが、難関私立中を目指して勉強していた彼らに比べると遥かに温かったのがよく分かりました(笑)。鍛え方が全然違う、と言いましょうか。

大人になって振り返ると、単に中学受験までの「貯金」の量が違うというだけでなく、勉強に対するストイックさ、新しく習うことを高い完成度で習熟させようという意識、こういったものが、中学に入った段階での「難関私立残念組」との大きな差であったのだと思います。
また、現代風に言えば「中学受験のリベンジを大学受験でやる」という覇気が、彼らにはあったのだと思います。

そんなわけで、入学するだけなら全然難しくない私立中学ではありましたが、上位層は活気がありました。附属中の残念組も腐ってる暇はない、切磋琢磨する環境でした。

自分はこの難関私立残念組をなかなか成績で上回ることはできませんした。全ての科目で負けているわけではないけど、総合点では負けている、そんな感じ。
どうすれば自分はもっと勉強ができるようになるのだろう?中2くらいから、それを模索する日々が始まりました。