介助者さんがいてくれる暮らしはとても助かるし、ありがたいです

だけど その一方でストレスもたまります

言ってしまえば、24時間 介助者さんとの共同生活になるわけで

価値観も考えもなにもかも違う人と24時間いっしょにいるって

それだけでストレスがたまるものです

仕方ないとはいえ、慣れるまではその息苦しさに 死んでしまいそうでした

たとえば、私は2交代制で、日勤と夜勤者最低でも1日2人の介助者さんがいることになります

日勤者でたくさんエネルギーを使った日は

夜勤者がくるころには 1日のエネルギー使い果たしてクタクタになってる

だけど、夜勤者にとっては仕事のスタートする時間が、言ってしまえば1日の始まりのようなもので

『(さぁ!今日も仕事するぞー!)お願いしまーーーす!(((o(*゚▽゚*)o)))』

と、そんな勢いで夜勤にこられると

…(ーー;)

となってしまうようなこともよくある

気持ちはありがたいけど

もうむりっ…私は寝たい…みたいなこともやっぱりあって

どうしたの?と聞いてもらえたらまだ、助かる

なんか私のときはムスッてしてる
話しかけても、話しをくれない

そうなっていってしまうと、話がどんどん拗れていってしまう

誰が悪いとか、なにが悪いとかではなくて

わかってもらうしかない部分。もちろん私も説明を頑張らなきゃいけない部分

なんだけどそこは ヒト対ヒト

その価値観がわからない
ずっと人といても疲れないもん!

そんな人もやっぱりいるわけで

そんなときどうしたらいいものかと 頭を抱えます

生活を共に送るってそういうことだらけです

洗濯物、お料理、お掃除…。いろんなことで価値観のちがいがでてきます

これまでたくさんな介助者さんたちと出会ってきたけど

自分とは違う価値観を、

ああ、そうなんだと受け止めてくれるひとって案外少ないもので…。

私はこうなのに、あなたはなぜ?と、そんなの意味わからない!

そうなると、価値観のぶつかりあいが始まってしまう

拗れすぎて、最初はなんの話ししてたっけ?みたいなことになることも多くて

そんな事がこの暮らしにはどうしてもくっついてくるんだと。身をもって知りました

私はよく介助者さんにこう話します

価値観のちがいを、一緒に生活するなかで感じることもあると思います

だけど、ここは私のおうちで、わたしの生活だから 基本は 私の価値観を大事にしてほしいです

だけど、どうしても これは受け入れらないとか、理解ができない 

そんなことがあったときは、無理やり受け止めなくてかまわないから

無理なら無理で その辺に置いといてください

私には理解できんって心の中でいくらでも言ってもらってかまわないから

どうしても無理と思うことは、その辺に漂わせといてもらえたらうれしいですと

考えに考えに考えて。いきついた先の答えがこれでした

もちろん、ああ、自分のこの価値観、変えたいなとか、これはよくないなとか

介助者さんがいてくれるおかげで、気づけることもある

だけどそれを365日24時間続けていたら、身も心ももたないから

かといって、どうしていいかもわからない

だからとりあえず置いといてくださいで

理解できんもんは、理解できんのだから

もちろん、歩み寄ってもらえることが理想ではあるけど。そんな人ばかりではないから

健康であれば、分かり合えない人とは、関係を切るなんてことも簡単にできるけど

この体と生きてく中で、それってなかなかに難しいから

介助者さんがいてくれる暮らしには、そんな葛藤もついてくるのだと

こうなって始めて気づきました

24時間介助者さんがいてくれる安心感と自由と引き換えに

失くす自由もあるのだと

矛盾だらけな毎日です

でも、その中にも 光があるのもたしかだから 

私はこの暮らし嫌いではないかな

これから先。介助者さんたちとの暮らしを想像するときの

ちょっとした材料になればと

私なりの思いをここに残しておきます