私は物心ついたときから

暴力等により誰かの

ために努力しなければいけない道具として

扱われてきた。

 

それはまるで空気のようにはりつき

そうである自分を認識でいなかった

 

夫の結婚もおおかたは社会体裁のための道具だったんだろうと

 

愛情にかけた面をしぬほどみてきて心よじれて

重度のうつ病になってもなお

そのことにはきづけなかった

 

 

治療等により、自分への理解がすすんで

誰かの

ために努力しなければいけない道具になっていると

わかってきた。

 

そこまで来れたことで44年かかってようやく

その自分を苦しめていた考えからは距離をおけるかもしれない

 

手に取るもの選ぶもの選ぶ場所

きょうたべるもの

明日いく場所に

他人の言動への反応

おいても

選択が色いろ変わってきそうだ

 

ずっとじぶんは自分のために存在できているような気がしてた

 

でもそうではなかった

 

 

なぜか

いつも自分を苦しめているような感じのする自分がいた

 

自分のために生きる

 

一口にいっても

 

うまれたときに

その権利を持っていなかった人にはきびしい

幼少よりずっとそれをうばわれた人にはそこから脱け出す

ことは容易ではない

 

ほんとうにきびしかったよ

 

この人生…

 

 

やっとだ。

ほんとにやっとだよ。ふたご座