台湾という「国」に思う | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)台湾旅行記より

先月台湾に旅行したことについてはこのブログで取り上げた。日本に暮らしている私にとって、台湾は「日本よりも遅れている国」という偏見があったが、日本よりも進んでいる事が多い。むしろ日本の方が遅れているのではないかという思いすらしたのが台湾である。

旅行後、様々に台湾という国を学ぶにつれ、今置かれている状況や歴史において、知っておくべき事は沢山あるという思いに駆られている。

 

(2)台湾独立とは

台湾は中華民国として存在しているが、それは正確ではないという人がいる。

というのは、第二次世界大戦で日本が負けた後、GHQに統治をされてように、台湾という地域は日本の植民地を離れ中華民国に統治された。

日本はサンフランシスコ講和条約で主権を回復した。もともと日本に政府があって敗戦したが故のGHQの統治を離れた。4月28日は祭日にこそなっていないが「主権回復の日」としている。

しかし台湾は植民地であったがゆえに主権を回復する政権が元々無い。その内に大陸で国民党と共産党の争いがあり、負けた国民党が台湾に避難してきたのだ。

だから中国ではまだ共産党と国民党との内戦状態だから、他国に対しては内政干渉するなという事になっている。

朝鮮半島はアメリカの支援を受けた李承晩が韓国を、ソ連の支援を受けた金日成が北朝鮮を建国したのと違うのだ。

 

だから台湾が独立するというのは、国民党からの独立であり、それは中華民国からの独立を意味するという説もある。

 

(3)台湾の民主化

蒋介石は台湾に渡り、228事件や白色テロなどを通じ、戒厳令の中で独裁政治を目指していたという説もある。

国際連合も最初は蒋介石を支持し、中華民国を常任理事国にしていたが、その後中華人民共和国に変更になる。それは国民党の腐敗政治に世界が気付き始め、見放された結果だった。台湾は世界の孤児となった。

中国は台湾の侵攻を何度も行ってきたが、これ以上共産圏の拡大を許すことは許されない。アメリカは台湾を支援する事で蒋介石は難を逃れたとも言える。

蒋介石は台湾を足掛かりに大陸への反攻を目指していたと言われている。しかし時が進むにつれ、それが非現実的なものと悟り、息子の蒋経国は相当の座を世襲にしなかった。そこで選挙も行われ、その後の李登輝の時代には民進党への政権交代(禅譲とも言われている)が行われた。

 

台湾は台湾独自の歩みを始めたのだ。

 

戒厳令が終わったのが1987年。台湾の民主主義は、台湾の人が勝ち取ったものだ。

 

前章で台湾独立は中華民国からの独立としたが、中華民国は台湾に馴染みながら民主化を進めていった。

 

(4)台湾の人たち

台湾の総統は民進党、政府与党は国民党と台湾ではねじれ国会になっている。これも日常生活での経済活動は中国に存在が大きい事もあり、国民党の支持が強いが、国のかじ取りは民進党に託したいという台湾の人たちのバランス感覚なのだろうと思う。

 

旅行でも思ったが台湾の人たちは親切な人が多い。そして親日の人も多い。

しかも戦争と隣り合わせなのか、国防意識も強い。

もし中国と戦争になったなら、台湾の為に戦争に行くという若者も多いそうだ。

 

日本ではとにかく話し合いという事が言われるが、いざという時は戦わなければならない。しかも愛する祖国の為に戦うという事は当然なのに、それを良しとしないコメンテーターもいる。ひどいのになると、一旦渡して後で返してもらえばよいという奴もいる。

 

そんなバカなことは無いという事も分からないようになった日本は、それこそ平和ボケというものの典型例だろうと思う。

 

台湾の人たちは本当に親切な人が多かった。

もう、中国と切り離しても良いだろうが、それには先に挙げた独立という事をどう実現していくかという事でもある。

 

それは大きな課題であろう。