(1)生き甲斐をどこに求めるか
この記事を要約すれば、今の仕事は楽だし安定しているけど、残業をして鍛えられている友人を見ると、自分はこのままで良いのかと不安になり、あえて厳しい環境に身を置いた・・・とそんな感じだろうか。
これだけ見れば悪い事では無い。
その仕事内容が生きがいとなり、仕事をすればするほど自分の成長を実感し、会社に貢献できたというものがあればなおよろしい。
もっとも、プライベートで何をするわけでもないから、暇な時間を持て余すよりは会社にいて仕事をする方がマシという人もいるだろうけど。
可哀そうなのは、プライベートでやりたい事があるのに、残業で出来なくて、やりたい事をあきらめざるを得ない人。
つまりは生き甲斐をどこに求めるか、という事で仕事で得られない事をプライベートで得ることだってあるだろうし、どちらが正しいとは言えないものである。
(2)鍛える、という事
YOU TUBEでスポーツ系のものを見ていると、高校でも大学でも運動部というのは大なり小なり理不尽な思いをした経験を持つ人は多い。そうでなくても、例えば酒の席の話とか、世の中には理不尽な要求を突き付けられることは頻繁にある。
しかし、そういう理不尽を乗り越えた人は強い。
やはり困難を乗り越えるという事は人間必要な事なのだろう。
先日、とある人とコロナの話になった。
あのコロナ禍というのも世の中の理不尽な最たるものである。その人は一家でコロナに罹患し大変だった。その家族には90歳を超えるおばあちゃんもいた。しかし家族全員でそれを乗り越えたからこそ、かかる時はかかると割り切る事が出来た。
割り切る事が出来るというのは強い。
言葉を変えれば人事尽くして天命を待つという事だろう。
だから鍛えて来なかった人は、困難から逃げる。しかも逃げた事すら実感が無く、正しい選択をしたと思っている。
それだけ選択の幅を減らしているのに、と周りは思っているだろうけど。
(3)しっかりいている、とは
私は毎年、初詣は靖国神社に行っている。
靖国神社における考え方は様々であろう。しかしそこに参拝する人は一様に礼儀正しい。金髪でピアスをしているようなお兄ちゃんも鳥居の前でキチンと頭を下げる。そういう姿を見ると「若いのにしっかりしている」と思う。
やはり心の様相なのだろうと思う。
会社で仕事を任せてもらえるようになるとか、出世するとかは嬉しい事ではある。しかし生きている事の実感とか、貢献している事の実感を感じられるかを仕事で得られるかは各論である。
いつか人生の総論を学ぶ時が来るだろう。その総論・各論が揃った時、もしくは興味を持ちそこに行こうとするとき、「しっかりしている」という評価になるように思う。