(1)夏の終わり ~オフコース
夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい
あの頃の事今では素敵に見える
この歌いだしで始まる「夏の終わり」
誰よりも懐かしい人は この丘の空が好きだった
諦めないで歌う事だけは 誰にでも朝は訪れるから
恋人との思い出を歌っているのだろうか
分かれた恋人がいた夏 後悔しているのか、思い出に浸っているのか
(2)夏の思い出は
子供の頃の夏の思い出は良いものは無い。
約1か月、母方の実家に行くのが恒例だったが、当時の湘南はまだまだ田舎だった。
当然クーラーなどなく、蚊帳を吊り、それでも虫に刺される。
おそらく遊びに連れていってあげたという事であろう湘南海岸も人があふれ、とてもキレイではない。鶴岡八幡宮も駅からそれなりに歩く。
とにかく夏は苦手。早く秋が来ないかといつも思っていた。それは今も変わらない。
(3)駆け抜けてゆく夏の終わり
それでも8月後半になれば涼しくもなり、秋の気配は感じられた。
こちらに戻り、また日常生活が始まる。
2学期も始まり、夏の名残で何となくだらけてはいるが、日常に戻るのが嬉しいわけではないけど、友達の顔を見ると何となく落ち着きを取り戻す。
駆け抜けてゆく夏の終わりは 薄れてゆくあなたの匂い
今日はあなたの声も聞かないで このままここから帰るつもり
そっとそこにそのままでかすかに輝くべきもの
決しても一度その手で触れてはいけないもの
好きではない夏も毎年違う経験をする。
それは年を追うごとに記憶から薄れていくものであり、相対的に好きではないというものが残るのだが、思い出というものは自分の都合よく書き換えることはあったとしても事実は変わらないわけで、そのままの形であればそっとそこにあるべきものなのだろう。
(3)夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい
秋になり、キンモクセイの香りが漂う季節になると、季節は確実に秋、そして冬に向かう。決して戻れない夏の思い出を胸に季節は動く。
でもあなたが私を愛したように
あなたを誰かが愛していいるとしたら
時はさらさら流れているよ
季節の動き、人の心の動きは止めることは出来ない。
だからそれを抗う事無く、自分は客観的に見ている。
あの夏は良かったとか、あの人との思い出は良かったと振り返る事はあるだろう。
しかし決して戻る事の出来ないものでもある。
一つ一つの思い出を胸に、今日も生きる。そして未来へ生きる。