朝は慌ただしい。昨日は優斗が教科書忘れたと言って出かけてしばらくしたら、家に戻ってきた。
信号まで行ったら忘れた事に気づいたらしい。
ところが、、、
どんなに探しても家にない😅😂
どうしよう理科の教科書がないんだ〜とふさぎ込む優斗。
もう私の仕事に行く時間となったので、共に駅に向かう。
その間ずっと
「なんで俺は思い出せないんだ。教科書は学校にあるのかなぁ。それともなくしちゃったのかなぁ。家をもう一度見たほうが良いかなぁ?」とあれこれ言いながら歩いている。
「優斗、悩んだり考えたりしたら思い出せるの?!」
「だって、ないと困るんだもの。」
「だって教科書は学校と家以外にないでしょう。家にないんだから学校でしょ」
「でも、もし、家のどこかにあったら、今日困るから」
「そしたら素直に話したら良いさ先生に。
同じことを次に繰り返さないように確認してさー、メモに書いといたら良いよ。
悩むような事じゃないよ。どうにもならないからさ。良い勉強になったと思って、今度は確認するようにしてさ。というより、昨夜のうちに学校の用意すれば良かったんじゃないの?
あー、
でも、
昨夜、ないとわかったら夜寝られないほど悩んじゃったね〜、ならば、今朝気づいて良かったかもねー」と話している私に、
まだ悩み続けてる優斗。
「優斗、そんなに落ち込んでまると悪い敵がつけ込んで来て、もっと落ち込まさせられてさ、今日一日をダメにさせられちゃうよ!」
「だって、どうにもなんないんだもん。考えちゃうんだもん。」
私もここで我にかえって、
あー大変、
信仰のない人のように励まし続けて来たけれど、神様に祈る事は提案しないで歩いてきちゃった、もう駅だ〜😅
優斗、感謝の祈りしようか、テサロニケには"いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。"
テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節
って書いてあるよ。
そこで小声で優斗のために祈り始めた私だけれど、隣で落ち込んでいる優斗はアーメンと最後に言うだけ。

とうとうホームについてしまった。
「優斗、
口に出して感謝しよう!」
というと、優斗が小声で感謝の祈りをした。
すると、
「あー大変❗️
思い出した。学校にある。確かに学校にあるって思いに来た。
ね〜これって祈りが聞かれたの?聖霊の力❓」
「このタイミングでわかったのだから聖霊だよ。
感謝の祈りが聞かれたんだよ。」
「そっか!
語られるってこんな感じに思いに来るんだね〜。
はっきりわかったんだ。学校にあるって。もう不安じゃない😉」
「優斗、なんで不安じゃないのかな?」
「わかったから。」
「どしてわかった?」
「感謝の祈りをしたら、教えてくれたんだ聖霊が。」
「そうだよ。
聖霊が思い出させてくれたんだよ。なんとなくじゃなくて、優斗が確信が持てるほどにはっきりとね。」
そんな事言っている間に電車が来ちゃって、いつものように私と座りたくない優斗はあっちのハジの方へ行っちゃいました😅

小さな小さな出来事だけど、
こんな経験を沢山してもらいたい。
大人の私も、優斗と大差ない。
祈らずに感謝せずに、限界のある自分の頭で必死に考える事の繰り返し。
み言葉は
絶えず祈るように、全ての事を感謝する様にと言っているのに😅