これから、静かに静まって祈れる場所を与えられるかもしれないって思う。
私にとって水はとても大切で、川のように海の波のように豊かに溢れんばかりに。
まさに、

"あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。"
イザヤ書 48章17~18節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
なのです。
その為には、まず聞かないとダメなわけで、
聞く時間を取り分ける必要がある。
それだけじゃなく、いつも絶えず聖霊と共に交わらなくては。

天のお父様は、
仲間と共に礼拝することを喜ぶけど、
でも、私が1人で祈る事を喜ぶ。
その為には、
私の中に入ってくださっている聖霊に語りかけ、聖霊に答えてもらわなければとつくづく思う。
今朝、不思議な感覚で目が覚めた。
喜びって語られた。
思い出した事は、主人と結婚する時に怒ることに遅い人がとても不機嫌になった事があって破局かなって感じて神に祈り、まだ19才だったのでこんな時、神が祈りを聞いてくれなかったら死のうかなって思ってしまった。
すると、
主人が突然満面の笑顔になり、理由を尋ねると
なんだか嬉しいんだ。訳わからないけど喜びでいっぱい!って言った。突然の奇跡の変化に何が起きたのか分からずそのまま何事も無かったように結婚した。
奇跡で喜びに満たされたわけだから、一夜にして変わってしまう事はあり得る事だと、私はその後主人が死ぬまで一度もこの事を主人に蒸し返した事はない。
時は過ぎて、、、
かなり過ぎて、、35年後、、
主人が天国へ旅立ってしまった時の葬儀でのこと。
クリスチャンの仲間が献花をしてくれるその時、
え〜!?
なにこれ!?
困る?!って頭が思うのに、
心の内からどっと喜びの霊に満たされて、止まる事を知らず、満面の笑顔になってしまった。

知らない人が私を観たら、ご主人が亡くなって喜んでると思うではないか?!って、抑えようとしても抑えられないんだ。
だって、理由はわからないけど嬉しくてたまらないから。悲しみのどん底にいるのに嬉しくてたまらないから。

その時、結婚前の主人を喜びに満たした事を思い出した。
主人は喜んでる。天のお父さんのところへ行って喜んでる。
主人は本当に天国へ行ったよ!って思った。
そして、あなたはこれから私が支えるよって言われた気がした。聖霊がわたしから溢れ出て喜びに満たしてくださってるってわかった。
そうだったのか!
やっぱり主人を奇跡で喜びで満たし、笑顔にさせたのは聖霊だったんだ。
そして、もう一つ思い出したことがある。

それは優斗がイスラエルでバプテスマを受けた時、ハッキリと
私は語られた「私は喜ぶ!

って。
その言葉は、とても嬉しかった。何故なら、イエス様も天のお父さんからそう言われたからだ。
喜びには、神様と共に交流を深める事で増して行く。
自分の意思ではなく、聖霊が働き、私達の中から喜びが溢れ出る。
わたしが、たとえどんなに苦しくても辛くても、
聖霊が働くと喜びで満たされてしまう。
それが天国なんだ。
そして、それがとても幸せなんだ私は。
もっともっと、神様の近くに行きたい。