「得意」に隠れていた「コンプレックス」に気づいた時の話。 | 【出張撮影】命の写真・家族写真・起業家写真

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出張撮影┃輝く命を残します。命の写真・家族写真・起業家写真
写真家 フォトセラピスト
   

命をつむぐ写真家 地天順子です。







10年前に主宰していたおやこ料理教室で
お母さんがこどもさんに向けるやさしい表情を
私だけが見ているなんてもったいない!
これをお母さんご自身に見てもらいたい!
そう思って一眼レフでの写真を学んだお話を前回のブログで書きました。↓

 

 



その当時、
そうやってお料理教室での様子を撮っていたのは
お母さんたちのために、だった。

お母さんたちが少しでも子育てを楽に
そして楽しむ機会になったら、と。


かわいいこどもさんのお料理している様子を撮るのも
親子で楽しんでいる様子を撮るのも
全部お母さんたちのため


特にこだわって撮っていたのが

お母さんたちがこどもさんに向ける眼差し


こんなに愛にあふれ
優しい表情をしているのに
お母さんたちは知らない

こどもさんたちもお料理に集中しているので

そんなことに気づきもしない


こんなに大切なものが
そこに「ある」のに
流れていってしまっているのが
どうにももったいなくて




 あなたはこんな優しい表情をしているよ
 そのままで大丈夫


そんなメッセージを込めながら撮っていた。

毎回胸の奥がキュッとしたり、熱くなる感覚を感じながら。



こういった写真をお撮りしたら
参加のお母さんたちがとてもよろこんでくれ
SNSにも投稿してくださる方もいたりして
私も許可を得て投稿するようになった。


そんな投稿を見てくれた方や友人が
「お母さんたちのあんないい瞬間の表情を撮れるのはすごい!」
と幾度となく言ってくれた。


が、
私としては
「見えているその瞬間を撮っているだけ」
「一眼レフがあれば誰でも撮れる」
と思っていた。

得意であるとは思っていなかったのだ


根気強く伝えてくれる友人たちや
撮らせていただいたお母さんたちの
「順子さんに撮ってもらった自分の写真がお守り」
「子育てが不安になったりイライラした時、
撮ってもらった笑顔の写真を見ると心が落ち着く」
そんな声から

「私、お母さんたちの表情をとらえるのが得意なのかも・・・?」

と徐々に自分で気づき、
認められるようになっていったのは
本当にここ数年年くらいのこと
(何年かかってるねん!と自分でツッコんでおきます・笑)


それから自分の中で大きく認められるようになったのは
1年半前にこんなことに気づいたからだ。


私は、
ずっとこどもの頃から求めていたもの・・・

 母の視線


が欲しかったのだ、と。


私の両親は
私が幼少期の頃よくケンカをしていた
ケンカの最中も嫌だったが


ケンカのあと、しばらく不機嫌で怒っている母に
なんとか機嫌をなおしてもらいたくて
笑顔になってもらいたくて

話かけても話しかけても
こっちを向いてもらえなかったこと

その記憶が強烈に残っていたのだ。

こっちを見て欲しかった
母の視線が欲しかった
笑顔になって欲しかった


不機嫌で悲しげで、怒っているように見えた母を
きっといつも見ていて
幼いながらになんとか笑顔にしたいと思っていた。


だから、母の表情の変化にはとても敏感だった。



これに気づいた時
「あぁ、私はお母さんたちのいい表情をとらえるのが得意なのは間違いない。
だって、何十年も母の表情の変化を見てきたのだから」

と妙に納得しました。

 


 母の表情
 母の笑顔

  ↓

 お母さんたちの表情
 お母さんたちの笑顔


私が欲しかった「お母さんの笑顔」が
今、このお料理教室ではたくさん見られて
それが誰にも知られることなく流れていることが
もったいない!
当時は無意識でしたが
きっとそれが根底にあり私は
「お母さんたちの笑顔を残したい」ということに
反応したのだと思う。

 



お母さんの笑顔やこどもさんに向ける眼差しは、
こどもさんたちにとっては
「お母さんはいつもこうやって僕(私)のことを見ていてくれたんだ」
愛を感じられ、勇気になる。


お母さんたちにとっても
「自分ではわからなかったけれど
ちゃんとこどものこと優しく見ていたんだな」
という自信になる。


たとえそれがたった一枚であっても

後に大切な人を癒し、勇気づけることになる


幼少期に欲しかった
「母から私への視線」がなかったから(ないと思っていたから)
それをみんなに向けていたんだ
そう気づいたのです。


実は
本当の意味でそれがなかったわけではなかった
と知ったのは
自分自身に過去の写真を使ったセラピー(フォトセラピー )をした昨年のこと

何度も見ているはずのアルバムなのに


 「あれ?・・・
 あった・・・」


 

その時に見つけた母と私の写真↓

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私の記憶の中では
キスしてもらったとか
母に抱きしめてもらったとか
手を繋いでもらったとか
なでてもらったとか
そういうわかりやすい愛情表現をしてもらった記憶がなかったのです。


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でもね、そこには
ある意味「証拠写真」がありました(笑)

心が大きく緩んだ瞬間だった
涙腺も緩んで大変だったな^^



きわめつけがこの写真とコメント
image


この写真の裏に↑
「百万ドルの笑顔」って母の字で書いてあった↓

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私は大人になっても
母に対して「私を見てくれなかった」という
哀しみや怒りにも似た感情を持っていたが


この写真たちを見つけた時に
それらが溶けていったのを感じた



10年前、
お料理教室でお母さんの笑顔を撮りまくって(笑)いた頃は
私が欲しかった母親の笑顔が目の前にたくさん見えて
それにきっと私は癒されていたのだろう。



当時「子育て中のお母さんたちのために」としていたことは
実は私自身が求めていたことだったんだという・・・

「得意」に隠れていた私の「コンプレックス」に気づいた時のお話でした^^




 

私さしさを取り戻し、輝くだすセッション〜フォトセラピー 〜 ↓

 




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