私にとっての離婚の『理由』と『きっかけ』は些細なすれ違いの積み重ねが多いような気がします。産後は初めての育児、そして、熊本地震を身をもって体験し、自分に余裕がなくなっていました。
特に最初の1,2ヶ月の記憶が曖昧で、あまり思い出すことができないくらい睡眠も取れず、慣れない育児、身体的ダメージ、頭が働かない中での仕事など、かなりのストレスを感じることになったのです。でも、私の中で、「育児ってこういうものなんだろうな」とか「みんな通る道だし、母になったし頑張らなくては」という自分のプライドがあって、周りが見えなくなっていたのかもしれません。
3ヶ月が経って、東京に戻り、家族3人での生活がスタートした時、睡眠不足や保活、そしてこれからの仕事に対しての姿勢など、考えることややることが多すぎて、いっぱいいっぱいになっていた時に、自分の仕事でいっぱいいっぱいの夫からのサポートもなく、イライラし始めたのです。
ワンオペ育児って今とても話題になっていますよね。朝8時半ごろに家を出て、12時過ぎに帰宅する主人には当然家事育児を平日する余裕もなく、休日も疲れて起きてくるのはお昼頃。その頃の私もワンオペ育児をやっていました。
そういった日々が過ぎていって、睡眠もとれないし、ほんと限界だなと思って「私限界だよ。。。」と一言こぼした時に、夫は「まぁ、人によって限界は違うからね」と言われたのです。
多分、それを言われた時から、夫への不信感が募っていき始めたのでしょうね。ほんと、今思えばという感じです。その時は、少しの違和感しかなかったので、そのままにしていました。
よく、妊娠中や産後に言われた言葉って忘れないって言われますけど、本当にそうです!笑
妊娠中に気分が悪くなった時も、「大丈夫?」の一言もなかったもんな〜。もっと早くその違和感に気づけばよかったのだけど、私も自分でこの人を夫に選んだから、頑張らなくてはという変なプライドがあって、周りからのアドバイスもシャットダウンしていました。
そう、その私のちっちゃな『プライド』。これが、私のこれからの課題だなと最近気づいたのです。一度「こうだ!!」と思ったことは絶対曲げない。失敗しなくてはわからない私。頑ななのです。笑
でも、今この時点でそれを気づけてよかったのかも。
話は逸れましたが、その夫への不信感によって、夫に優しくできなくなり、彼のために何かをすることが嫌になり、彼が同じ空間にいることが嫌になり、触られることも嫌になり、何もかもが嫌になってしまった。
一度、夫に聞いたことがあるのです。「ねー家のこととか少しやってくれる?今、何をやってくれてる?」って。そして、返って来た答えが「生活費入れてる」でした。
悲しいを通り越しました。笑
今も、思い出すたびに胸が苦しくなります。あ〜受け止めてくれない。とね。
その頃から夫から言われたこととか日付を付けて、メモするようになりました。
産後6ヶ月でした。
彼を受け付けなくなった理由はたくさんある。でも「離婚」を考えるきっかけとなったのは、今年の正月に一緒に実家に行った時、彼は酔っ払って、私の父の前で私に言いました。「新しい人を探してください」
彼がそう言ったのには、何か理由があるにしろ、私の父の前でそういうことを言ってしまう彼の神経を疑いました。それでも、私が選んだ人だし、私が頑張らなくては。子供もいるし、別れたらきっと悲しむ。と「離婚」という言葉は呑み込んで来ました。
でも、今年は何かと、人と会うことが多くなって、その人たちから刺激を受けることが多くなりました。私の幸せってなんなんだろう。このまま、一緒にいて息苦しくて、イライラするような狭い世界にいてもいいのかなと自然と思うようになりました。
そういったことを頭が痛くなるくらい、そして、夜いつのまにか寝落ちするくらい一生懸命考えて、ある日、気づいたのです。「あ、私こんなに我慢してたんだ」「頑張るって何?私だけもがいても辛いな。関係が良くならないなら、意味ないな」って。「私、全然幸せじゃない」「このままじゃ、後悔する」とも思いました。
恋愛や結婚もそうだけど、世の中って結局人間関係。持ちつ持たれつの関係。それが、私の場合「持ちつ、持ちつ」になってたんじゃないか。
だから、私に余裕がなくなったときに、私と夫の関係に少しずつ歪みが生じていったのかもしれません。私が彼に合わせすぎて、自分で自分の首を絞め続けたのかもしれません。
この我慢の限界は今年のGWに来ました。張り詰めていたものが、ある出来事でプツンと切れたのです。本当に、細い細い糸でつながっていた何かが音を立てて切れてしまいました。
その切れた瞬間、不思議だけど、なんだか滑稽で笑えてきました。「あ〜この瞬間きたな」と前々から悟っていたような感情。
そう、だから、私にとっての『離婚』の理由はたくさんある。けど、『きっかけ』っていうのは2つ。