自分の中で
割り切ったり
整理してるつもりでも
 
やっぱりまだ
どこかで引っかかっていたのかもしれない
 
 
 
クノタチホちゃんのブログには
いつもお世話になっているのだけど
なんかもう涙が止まらなかったのよ
 
 
 

 
 
おそらく今週新たな生命の誕生に
立ち合えることになると思うのだけど
 
 
妊娠や出産と聞くと
子宮が痛くなっちゃったり
受けとめられない感覚になる
 
 
過去の経験もあるし
自分が子供を産んたり
育てているところを
想像できないのだけど
 
 
 
それでも一度は
大好きな人との子どもを産みたいって
望んだことはあって
 
 
 
今でも時々
子育ての話を聞いたりすると
わたしだけいないんだよなーって思ったり
その大変さを分かち合えない
もどかしさもあったり
 
なんとなく違いを感じる場面も
すごくあって
 
 
 
羨ましさや嫉妬は
やっぱりあったんだと思う
私の場合は子ども以前の問題もあるのだけど
振り切れるほど自分はまだ強くないんだと思う
 
 
かと言って
わたしは別に不妊治療してるわけでもないし
本気で生みたいのかって言ったら
そうじゃないから
この曖昧な気持ちが何なのかって
モヤることはあって
 
 
 
もちろんこのバースセレモニーを通して
気持ちが変わってもいいと思うし
もし望んでしまったなら
また方法を考えればいいわけで
 
 
 
だけどなんか
このチホちゃんのブログに
救われたような気持ちになったのかな
文章から伝わるエネルギーに震えたのかな
なんかすごく響いて
何度か読み返したけど
その度に涙が出る・・
 
 
***
 

命を授かる事

命を紡いでいく事

は尊い事だけど

 

***

 

 

 

それを担えないわたしを

そう思えないわたしを

一人で勝手に

どこかで責めていたのかもしれないなとも

ちょっと思うのです

 

父親・母親であることは

尊いこと

 

それに比べてわたしは

全然がんばってないなって

思っちゃっているのかもしれない

 

 

もういいよって

手放してあげたい

この想いを

 

 

もういい加減

解放してあげたいね

 

 

じっくり内観してみようと思うよ

 

 
image
 
それに気づかせてもらうための
先週からの流れなのかな
 
 
 

人は誰しも
心のどこかに何かしら
こんな風にどうにもならない気持ちを
抱えていたり
淋しさを感じていたりするのかもしれない
って思ったら


なんだか
ほっとするというか
やさしい気持ちになれる気がする