術後、全く発声ができなくなった
甲状腺全摘出の手術は無事終わった。
でもその後、全く発声ができない状態になった。
反回神経麻痺というやつで、声が出なくなってしまった。
ささやくことはかろうじてできるけど、普通に話せない。それが続いた。
三越でベーグルが買えなかった日
Sちゃんが差し入れてくれたベーグル🥯がおいしくて、退院後に自分で札幌三越に買いに行った。
時期はコロナ禍真っ只中の2020年、みんながマスクをしていた時代。
声が出ていないことはわかっていた。でも病院の中では、あえて声を出す場面もなかった。
入院中は、無理に声を出さないほうがいいと言われていたからだ。
その地下のドーナツ・ベーグル屋さんは大人気で、列に並んでやっと自分の番が来た。
アクリル板越しに、店員さんがこちらを見ている。
「これください」と言おうとした。
——声が、出なかった。
頭ではわかっていたはずなのに、その瞬間、初めて“使えない”と理解した。
とっさに指を差した。
でも店員さんに聞き返された。
もう一度指を差す。
それでも伝わらない。
後ろには列ができているのがわかる。
焦りだけがどんどん大きくなって、何も言えないまま、その場を離れた。
日常の中に「これください」や「すいませーん」すら言えないんだと、声を失って初めて気がついた。
声が出ないということは、その場で即座に自分の意思を相手に伝えることができない。
早く健康体に戻りたくて手術したのに、手術して障害者になったのかなって。
それが正直な気持ちだった。
承諾書を突きつけた医者
甲状腺全摘から10日、退院した時点で全く話せない状態だった。
徐々に話せるようになるものだと思っていたが、全く発声ができなかった。
退院の頃にはさすがにおかしいなと思い始めた。
次の受診で執刀医に声が出ないことを伝えた。
返ってきた言葉は「合併症です。しばらく様子を見ましょう」だけだった。
様子を見るって、具体的に何をすればいいのか。
リハビリはないのか。この執刀医からは何も説明がなかった。
具体的な説明とアドバイスを求めたら「合併症の事は承諾書に書いてあるよね」の一言で払おうとした。
それ自体全部クレームだと言った。そこから私は怒涛で言い始めた。
確かに承諾書には合併症の嗄声のリスクが数パーセントと書いてあった。そのリスクがあることはもちろん知っていた。
でもいざ現実になった時、具体的な説明もリハビリの案内もなかった。
「しばらく様子を見ましょう」とだけ言われた。しばらくっていつなんですかと聞いても答えがない。
ささやき声
しか出ない中で、必死に言い始めた。
「もうこれ以上話してもしょうがない」と言って、執刀医は私に背を向けた。
近くに看護師もいたけど、何も言えていなかった。
私は自身の置かれた状態への不安、焦り、怒りを抱えたまま、札幌医科大学附属病院をあとにした。
余計なことを言わないでほしい
その日の札幌医科大の帰り道、すぐ近くにあるさっぽろ甲状腺診療所の予約もしていたため向かった。
そこで、札幌医科大を紹介してくれた主治医に状況を全て報告した。
・声が出ないことを執刀医へ直接クレームとして伝えたこと
・声が出ないため自分でリハビリ施設を探す必要があること
・そして札幌医科大のあのドクターを今後患者に勧めないでほしいということも伝えた
私と同じ思いをする可能性があるかもしれない患者を減らしてほしかったからだ。
そこでそれを近くで聞いていた看護師が会話に入り、
「まだ手術直後だから、様子を見ましょう」と言ってきた。
その入り方は、私にはしゃしゃり出てきたように感じられた。
声が出ない状態が続いている中で、客観的に見ても強いストレスの中にいた。
その状況で、意見を求めていない立場の人から、そのような上からの言葉をかけられたことに強い違和感を感じた。
私はその看護師に対して言った。
「全く話せない状態なんですよ。具体的にどう様子をみるんですか」
その場の空気は一瞬張り詰めた。
またぶつぶつ言い始めようとしていた看護師をドクターが止めてくれて、その場は収まった。
次回はリハビリの話を書きます