私が決して忘れられない 広島の

小学校時代の恩師 梶矢文昭先生は

その後 どうしていらっしゃるのか、

時折 思い出してはいたものの、

もう 40年以上も経っています。

その後の先生の消息を知る術もない

そう 思っていました。



つい一昨日のことです。

なぜかまた 先生のことを思い出して

スマホで 何気なく ググってみたのです。

すると、思いがけず 梶矢先生が出ている

記事やYouTube が 目に飛び込んできました。

え! これって! 

あの梶矢先生だよね!

びっくりしました。

夢中で それらを順に読み漁りました。


先生は広島の教育委員会を離れたあと

「広島を語り継ぐ教師の会」を発足された

そうです。

当時全く知らなかったのですが、 先生は

被爆者でした。

子供たちに 自ら描いた紙芝居を携えて

原爆の悲惨さや平和の大切さを 伝え続けて

いらっしゃるのです。

私は Youtubeで流れる 先生の あの

懐かしい姿と声に 思わず涙が溢れました。

「梶矢先生!」と 叫んでしまいました。

それらの映像や記事は 新しいものでも 

数年前のものでした。多分 八十を

超えた年代で お年を召されてはいますが

声はあの頃のように張りがあり 言葉も

力強く 優しさと愛と情熱が伝わって

きました。

そして ある記事で 三浦春馬君の「日本製」

のことが書かれていました。

当時 三浦春馬君は 日本全国を回っていて

その土地の伝統を伝えるべく いろいろな

品物や技術を紹介して 「日本製」という

本にまとめています。

広島は何を紹介しようかと考え 春馬君は

やはり原爆だと 思ったとか。

そして なんと 梶矢先生に白羽の矢が立って

春馬君が 先生のお宅を訪れたそうです。

いろいろお話しされたようですが、

先生は春馬君のことを 素晴らしい青年だと

感心されていました。

その時 もういつ亡くなってもおかしくない

末期癌の奥様を 春馬君は力づけたそう。

奥様も先生も とても喜び その3日後 

奥様は静かに旅立たれたそうです。


先生に関する こんな情報に なぜ 私は

今まで触れることがなかったのか?

そして なぜ今 こうして 数十年も前の

過去の記憶と共に 蘇って来たのか?

きっと何か意味があるのでしょう。

なんと 先月 NHKの「最後の授業」という

番組に 先生は出演されたそうです。

大腸癌を患っていらして 最後のメッセージを

伝えるためだったそう。

この番組はなんとか 観ようと思います。

そして できれば ぜひ 先生に会いに

行こうと考えています。

今 連絡先を知る方法を 必死に模索中です。

この結末 また ブログにて✌️💕