母が亡くなって 2年が経ちました。

コロナ禍の暑い夏の朝 母は旅立ちました。

コロナの影響で なかなか会えない中

少しずつ あちらの世界へと 向かっていた

母でしたが、ある朝 施設からの連絡で

慌てて向かった私を まるで 眠っている

ような 穏やかな顔で 迎えてくれました。

その朝 施設のスタッフと 元気に挨拶の

言葉を交わしたといいます。

次に部屋に行った時は もう息をして

いなかったそうです。


母を見送って二年が経ちますが、

時々 まだ母が生きているような錯覚に

落ち入り、ああ お母さんはもう いないんだ

と あらためて 現実に戻されます。


母は 亡くなる前の十五年間は 我が家の

近くの小さなマンションにひとりで

暮らしていました。

私は頻繁に 母のところに立ち寄って

ランチやお茶を一緒に楽しんだり

おしゃべりしたり、買い物に行ったり

いい時間を過ごせたことは

本当に 何よりの思い出となり

ありがたいことでした。


命日に あらためて 母との対話を

振り返ってみると、

とてもたくさんのことを 教えてもらった

ことに 感謝の思いが湧いてきました。

その中で 心に残っているのは

裸の魂が どれだけ 燃えて輝いているかが

大事ということ。

激動の戦中戦後を生き抜いてきた母の

生き方は その時その時が真剣だったと

いうことを感じます。

そして 自分の魂が望むままに 96年の

生涯を全うした母は あっぱれだと思います。

母はよく 自分の我欲なんてなくなると

言っていました。

家族や大切な人 そばにいる人のために

一生懸命に生きることが 自分の喜び

魂の喜びなんだと 母を思い出して

感じます。

でも だからと言って 自己犠牲ではなく

母は楽しむことも上手で 人を喜ばせる

ことも好きでした。

お金は生きた使い方をしなくちゃと 

自分もみんなも楽しむために お金を

使ってました。

お金や物質には執着がなく 貧乏は幸せよ、

少しのことで幸せになるわと 言ってました。

「残高0の人生」という随筆を書こうかしらと

よく言ってました。


肉体を飾る 煌びやかな衣服も 化粧も

名声や地位も富も 全て儚く 危うい。

裸の魂こそ 真の自分。

魂を磨いて 輝かせ 今生を精いっぱい

楽しみたいものです!


お母さん、ありがとう❣️💕