私は 戦後10年経った広島で
生まれました。
あの原爆投下から 10年経った広島で
私は生まれ、 中学1年まで 暮らし、
その後 福岡に移り
また 大学4年間を 広島で過ごしました。

今 思うのは、広島という地で 生まれ
育ったことは 私にとって とても
意味のあることだということです。

母は 戦後 台湾から広島に引き揚げ
OL時代を過ごし 父と知り合い
結婚して 私を生みます。
父は 血気盛んに 特攻隊に入隊
したものの 終戦を迎え、 
命を拾うことになった 言わば 
特攻崩れというのでしょうか?
一度 国の為に 命を投げ出した父の
情熱に 母は 惹かれたと 昔 話して
くれたことがあります。

原爆投下から10年後の広島で
父と母が 運命的に出会ったことで
私は この世に 生を受けました。

広島の小学校では 原爆について
学ぶ 平和授業が 行われていました。
スライドや映画で 原爆の悲惨さを
目で見て、被爆者の話を 耳で聞き
子供心に 戦争の恐ろしさは ひと事
とは 思えませんでした。
毎年8月6日には 夏休みにも
関わらず 登校していました。
今は どうなっているのか 
わかりませんが〜
そんなこともあって、小さい頃から
私にとって 平和と戦争、そして
原爆は とても身近な問題でした。

広島に育った子供たちは
日頃から 原爆の恐ろしさや 戦争の
悲惨さ、そして 平和の大切さを
考える機会を 多く与えられていた気
がします。

今日は 終戦記念日。
あの 忌まわしい戦争から 70年以上も
経った今、 戦争を実体験として 語る
ことのできる人は とても少なく
なっています。

施設に入っている 95歳の母は
時々 戦争中の話をしてくれます。
機銃操作から逃げ惑ったことや、
特攻で飛び立つ 若者を 何度も
見送ったことなど。


光陰矢の如し
時は あっという間に 過ぎ去り
全ては 大海の雫となって 
大きな流れとともに 時空の狭間に
紛れていく
でも 今 ここを生きている私たちは
光を目指して 平和を願い
闇をも 照らしていきたい。
そう 強く思った 終戦記念日です。