西名美です。

2020年12月に書いた

このブログ、現在(2024年1月)の時点で

思いの変化や追加があるので

その分に関して赤文字で追記しています。

 

 

これから

【マイヒストリー】というテーマで

生まれた時から今に至るまでの

自分の事を書いていきたいと思います。

 

その時にどんな事があったのか

どう感じていたのか

今の自分は、どう思っているのか

 

そんな事を感じながら、自分自身と

とことん向き合う機会にしたいと

思っています。

 

よろしければお付き合いくださいm(__)m

よろしくお願いいたします。

 

今回は

【出生~幼稚園】の頃の事を書きます。

 

1979年11月30日

大阪府枚方市で生まれました

 

 

 

 

私は双子の姉

(15分妹よりも早く生まれました)

として生まれました

 

驚いたことに、私が母親から出てきてから

初めて、もう一人お腹に子供がいること

が判明!

 

それまでずっと女の子1人だけと

診察でも言われ、母は妊婦時期を

過ごしたというから

今なら考えられません(;'∀')

 

実はこの時の出来事が

私自身というキャラクターを

作ったといっても過言では

ありません。

 

どういうことか?

後ほどお話したいと思います。

 

2000グラム前半という事で

二人とも小さめでありましたが

幸い、元気に生まれたようです

 

あ~親子生きててよかった!!

 \

 

大変だったのは、生まれた後

 

父は慌ててもう一人分の服や

おむつを買いに行き、

 

名前も一人分だけで考えていたのに、

二人となったもんだから、

二人バランスよく考えて、

字画も一から二人分自分で調べて…

 

出生届の提出期限ぎりぎりいっぱいまで

一生懸命考えてくれたようです

 

ちなみに母は基本そういった手続き

ごとや、名前だって父にお任せの人♪

 

なみ・ゆみ

 

母の名前の一文字「美」をもらって

二人の名前が無事きまりました

 

 

奈良県明日香村・石舞台古墳にて
母方の祖父母と
(おじいちゃんと一緒なのが私)

 

母は、小学生低学年くらいまでは

いつも私と妹の二人にお揃いの

服や色違いの服を用意してくれて

 

残っている写真みると、結構しっかり

とした上等な服をいつも着てました

 

今と違って子供服の種類は限られて

いただろうし、結構値段もしていた

と思うけれど

 

季節ごとのそれぞれの実家への帰省

時やお祝いごとなど、節目節目で

服を必ず新調してくれていたみたい

 

夏のワンピースなんかは母が

よくミシンで作ってくれた

 

ただ、子供ごころにワンピースが

嫌で嫌でたまらなかった

 

ズボンやキュロットの方が

なんか好きな子供でした

 

親になった今だからわかるけれど

すぐにサイズアウトする成長期の

子供の服をまめに買い替えたり

するだけでも結構面倒なこと

 

ましてやわざわざ手作りで

作ってくれたりして

 

当時は

専業主婦がすべて家の事

やるのが当たり前

 

弟も生まれて、父はサラリーマン

で平日はいつも帰りが22.23時

まわってたり、

 

そんな母自身、子育てに家事に

忙しい中、きちんとしてくれて

今だから思うけれど感謝しかないな・・・

 

 

 

 

幼稚園の頃

小さくて集合写真もいつも

一番前。多分向かって左から

小さいもん順に並ばされてたん

だと思う

 

大抵クラスで1番か2番目に小さい

 

それが当たり前と思ってたし

体が小さくていじめられたりとか

嫌な思いをして記憶もなかった

んだけど

 

 

 

幼稚園卒園式の時

 

「チック症」といって

ストレスを感じたりすると

皮膚などひきつる症状

 

当時の写真をみると片目が

チックに

 

ウインクしてるわけではなく

当時ずっとあんな目をしてた

らしく、母は特に心配していた

ようだけど、しばらくしたら

治ってたみたい

 

当時嫌だったかなという事を

必死に(笑)思い出すと

 

給食を食べるのが遅くて

食べ終わるまで席を立つ

事ができない、掃除が始まって

後ろへ席ごと移動させられて

ほこりっぽい中で給食

(小学生までそれ続いたな)

 

給食が遅いせいで、そのあとの

図書時間に間に合わず、

あわてていくと、すでに

人気な絵本が借りられて

しまっていたりが続いたり

 

同じクラスの男の子がいたずら

してきたり、当時幼稚園児ながら

なんか私の事気になるんやろな

好きなんちゃう?とか冷静に

思ってた部分もあったけれど

とにかくいちいち絡んできて

うっとおしかった

 

そんな事を思い出します

 

先ほどのチックの症状からも

なんか子供なりに窮屈さと

いうかモヤモヤがあって

それがストレスになってた

のかな〜と思います

 

 

とはいえ

 

幼稚園の頃までは

母からの心配だったことは?

って聞くと、そのチック症くらい

(あっそういえば鼻血が朝登園時

止まらずとんぼ返り時期はまぁまぁ

あったみたい)

 

親自身特に、双子だった

私と妹を比べられることなく

 

いわゆる姉ちゃんやのに○○!とか

ゆみに比べてあんたはなんなの~!

とかそんなの一切なく

 

のびのび育った幼稚園時代

でした。

 

3年前に自分と向き合ったときは

こんな感じだったのだなーと思い出しました。

 

当時こうして書いているように専業主婦で

あった母親へ感謝がある一方で、

 

その後の向き合いで、

専業主婦=経済的に旦那さんに頼りっきり

自立していない、尊敬できない、下に見る

というような気持がでてきました

 

そんな自分の母への自分の気持ちに

気づいたとき自分がつくづくいやになりました

 

でもあきらめず、さらに自分の気持ちをさらに

みていったとき、母を下にみていたのでなくて

 

ただ、うらやましかった・・・

 

旦那さんに甘えられる、弱いところを見せれる

そんな母がうらやましかったんだなという事に

気づいたのと

 

母が私に対して「名美も甘えたらいいよ

強がらなくても、あなたは愛されている、

どんなあなたも愛されている」そんなメッセージを

姿伝えてくれていたのだなと

 

そんな風に感じるようになりました。

 

また、双子だった私と妹を比べることも

なく・・・と書きましたが

 

これもまた3年前これをかいたときは

比べなかった両親に感謝と思って

いましたが

 

その後の向き合いで、

 

めちゃくちゃ褒められたかった!!

がでてきたんです

 

そう!両親は比べもしなかったし

そして、褒めることもめちゃくちゃ

少なかった(そう子供の頃私自身

感じていたことを思い出しました)

 

めちゃくちゃ褒められたかった

んですよねーーーー

 

承認欲求のかたまりの

なみちゃん

 

甘えたい!!

褒められたい!!

 

3つ子の魂百まで

 

っていうように、3歳までに

感じたこと(思い込みともいう)

があったようです

 

当時我慢していた感情が

 

40歳超えて今!

でてきて、とーーーーっても

しんどかったです

 

その感情を隠さなあかんと思って

たから

 

甘えたらあかん

弱音みせたらあかん

褒められない自分はぜんぜんよくない

いけてない

 

そんな風に自分で勝手に(笑)

思い込んでいたんですねーーーー

 

両親にしたら、私も妹の事も

大切だから、比べられなかった

比べたくなかった、だから

どちらかを褒めるという事を

すると一方が悲しむ?よくない?

そんな風に気を使ってくれて

つまり、私たちへの愛情ゆえに

っていう事が、実は40歳こえて

から、母から聞きました。

(自分の感情が落ち着いてから

母にほんとは甘えたかったし

褒めてほしかったといったときに

そう教えてくれました)

 

 

3年前このブログを書いたときには

気づかなかった思いが

この3年であふれ出て

 

こうして思いを追記しています。

 

また冒頭で

話していた、当日に双子と発覚した

エピソードで、私のキャラクターが

決まったと書きました

 

ここ数年の向き合いででてきたのが

産まれた直後のトラウマ

 

私が生まれたとたん、妹がまだ

おなかにいると分かったため

慌てて病院も、両親もまわりに

いた関係者も、妹の出産に

集中したのだとおもいます

 

当時の事をふっと思い出す機会が

あり・・・

 

すさまじく泣いている生まれた

ばかりの私がいて

 

でも、だれもこちらを振り向いて

くれない

 

ほったらかし

 

誰とも目が合わない

 

「どうしよう、このまま私

死んでしまう・・・」

 

そんな恐怖を感じた記憶が

出たんです

 

実際は、みんな必死で私や妹の

命を助けようと動いていただけの

こと

 

でも、生まれたばかりの私には

それが分からなくて、

 

誰にも助けてもらえない

死んでしまうと思い込んだのかなと

当時を思い出します

 

この時の記憶がずーっとあって

ずーっと握っていて

 

人に見てもらえない=死

 

と思い込み続けていた自分がいて

 

過剰に人に無視をされる事が

怖い自分がいることにも

きづきました(ただ、相手が

気づいてないだけってことも

大いにあるのに)

 

2020年12月にこのベースになる

ブログを書いてからずいぶん

自分を見れるようになったなーと

そして人にも隠さず、オープンに

なってきたなと自身の変化を

感じます

 

今後も、大人になるまでの

マイヒストリーを書いていて

同じように、今感じる自分の

言葉をまた追記していこうと

おもいます

 

よかったら私を知るきっかけに

そして、ご自身が自分と

向き合う何かヒントになれば

幸いです

 

小学生の頃へとつづく

マイヒストリー*その2*