【 44 】
8月 12日(火) 20:55
「この前のオファーについて、少しは考えてくれましたか」
狂気渦巻く賭場を脱し、マンションの屋上へと出た。
天には漆黒の空間。眼下には煌めく神戸の街。
「・・・・・その件については既に返答したつもりだが・・・・・」
暗闇に光る金子の細い目――冷厳なる意志の目――が鋭く雄介を見据える。
「なるほど・・・・・あれだけの条件でも難しい、ということですか」
「ヤクザになるつもりは毛頭ない」
「条件が問題ではない・・・・・ということですか」
「聞いているぜ・・・・・『侵略すること火の如し』・・・・・ここ数年の瑛頌会は信じられない速度でシノギを拡大してきた。 この関西から中部に掛けて、グレーゾーンから真っ黒なもんまで、気がつけばいつの間にかあんたらの組が美味しいところをさらっちまっている、という噂だ・・・・・それだけ破竹の勢いの渦中にいるあんたらが、何故俺のようなちんけな個人仲介業者に執着する?」
「・・・・・まあ聞いてください。 この前も尋ねましたが、うちの若いもんとつるんでいるそうじゃないですか」
「つるむ? あれは仕事だ。 おたくにいる一部無能なチンピラに知恵を与えてやっているだけだ。 きちんと対価は支払ってもらっている」
「そう、ウチの無能なチンピラがあまりに貴方を褒めそやすのでね・・・・・」
「褒めそやしてもらうほどには絡んではいないよ」
「実は・・・・・・・・・・貴方のことは少し調べさせて頂きました」
「・・・・・・・・・・・・・・」
金子はコンクリートの途切れ目に向かって歩を進めた。
遥か眼下には木々に囲まれた駐車場の一部を、屋外灯が闇に浮かび上がらせていた。
「沢村さん、貴方は巧妙に『連鎖』に入り込んでいる。 この関西、いや、全国に渡って小規模ですが、実に多様なお金の流れに舟を浮かべている。 しかも決して御自分は危険に身を晒さない水面上・・・・・これはたいしたものですよ。 実にお上品かつクレバーです」
「・・・・・俺が神戸に居ついてから聞いた様々な話の中では、群を抜いて金子さん、あんたの話が上等だったよ・・・・・・・・・狡猾かつ周到に獲物を掠め取るやり口はハイエナにも真似出来ないって噂だ。 瑛頌会の躍進の戦略、全て裏で絵を描いているのは金子星治さん、あんただということは皆知っている」
「・・・・・・・・瑛頌会も少し急拡大してきたツケが回ってきましてね。 潜りきれなくなってきた。 あちこちからマークされ始めています。 それは自覚しています。 そう、だからこそ貴方が欲しいのですよ、沢村君」
「あんたらは暴対法を逃れてマフィア化した。 それでいてこれだけの収入源を押さえている。 充分に潤っているはずだ。 何をそんなに焦っている・・・・・子分が嘆いていたぜ。 『幾ら稼いでも、上層部が躍起になって金を集めようとしている』ってな・・・・・・・・」
「・・・・・笑止。 貴方がうちのダボに何を聞いたかは知りませんが、自社の歩みを止める組織がどこにあるのですか」
湿った生温い風が体にまとわりつく。
六甲山の方角から獣の鳴き声が聞こえた。
天との明瞭な境目を失った山々が、静かに蠢いて見える。
「ところで沢村雄介さん・・・・・・・・・・貴方、ずっと何かをお探しなんだとか・・・・・・」
金子の暗く澱んだ目がじっと注がれる。
顔が歪み、手が震えた。 視野が狭窄する。
「重々に承知のこととは思いますが・・・・・ヤクザは『探し物』を見つけるのが上手な組織なのですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
金子のまとわりつくような視線を切る。
頭部に拍動と熱を感じ、喉が渇いた。
静寂の空間に携帯の電子音が響いた。
――着信――キクチ――
「雄介ちゃん、どこにいるんだい?」
「まだマンションの近くにいますが・・・・・」
「そっか、雄介がいなくなるとやっぱり勢いが止まっちまってね。 おいら今日はこの辺りで勝ち逃げを決意したからよ、ちょいと祝杯に付き合ってくれよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・いいですよ」
遠くで車が急ブレーキを踏む音が響き渡り、再び静寂が訪れた。
北野地域―――三宮からほんの10分程度北に斜面を上るだけで、街の騒音は消え去る。
「金子さん、そろそろいいかい?」
「・・・・・・分かりました。 今日のところは結構です。 貴方も少し視点を変えて、また御一考下さい。 ・・・・・・しかしそれにしても、貴方とはなぜか・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・何だ?」
「・・・・・・・・いえ・・・・・・・・・何も・・・・・・・・沢村さん、それでは、またこうして夜風にあたりましょう」
金子は神戸港の方角を見据えたまま・・・・・・煙草の煙を強く、長く吐き出した。
靴がコンクリートを踏み鳴らす音・・・・・・雄介はマンション内に戻る入り口へと歩き出した。
蚊の羽音と空気の微弱な振動。
薄い月が闇夜でいびつに漂流していた。
・・・・・ナゼオナジニオイガスル・・・・・