【 8 】
・・・・・沢村の家出はまず有り得ない・・・・・
失踪する前週の試合で、沢村は4打数3安打の大当たりだった。
機嫌を良くした沢村は、出麹と畑山を家に招き、夕食を馳走していた。
沢村家は海岸沿いの「みりかグラウンド」から近く、閑静な住宅街の中にあった。
沢村には妻・裕美子と二人の子供・雄介と美穂がいた。
当時裕美子は32歳、雄介11歳、美穂は10歳であった。
また、庭にはダンボという雑種犬も飼っていた。
愛妻家の沢村らしく、家庭の雰囲気は非常に良かった。
出麹と畑山は裕美子の手料理をたらふく御馳走になった。
裕美子は背丈は小柄だが、意思的な瞳が印象深く、沢村にお似合いの美人であった。
息子の雄介は裕美子の隣で、黙々と飯を口に運んでいた。
人見知りをしているのか、俯いた顔をなかなか上げない。
「こいつはなかなか有望株でしてね。リトルリーグでピッチャーをやっているんですけど、小学生にしては驚くような球を投げますよ!!」
雄介の頭をなでながら、沢村は自慢げに語っていた。
「俺が果たせなかった甲子園出場という夢をね、こいつに託しているんですよ」
「もう、本当に野球バカね、勝手に託さないでよ。雄介は頭がいいんだから、野球ばかりさせていたらもったいないわよ」
裕美子が空いたグラスにビールを注ぎながら、あきれた口調で言った。
娘、美穂は話しかけると、物怖じすることなく、元気よく返答してきた。
好奇心に満ちた黒目がちな瞳が愛くるしい。
「今度、おじちゃん達の顔を描いてあげるね」
ペンを立てる仕草をしながら、覗き込むように出麹にほほ笑み掛けてきた。
美穂は駅前の絵画教室に通っていた。
居間に壁に立て掛けてある幾つかの絵は、この年の娘にしてはやけにうまく見えた。
土地柄なのか、海や砂浜を描いた絵が多い。
具象画に加え、抽象画のようなものまである。
「ほ~たいしたもんだね」
畑山は絵を見ながら心底感心していたようだ。
「今ね、内緒でお兄ちゃんの誕生日にあげる絵を描いているの」
雄介が席を離した隙に、美穂が皆に打ち明けた。
これは沢村も裕美子も知らなかったらしい。
「どんな絵をあげるの?」
「内緒!!」
食卓に皆の笑い声が満ちた。
その日、出麹と畑山が帰路につこうとした時、時計はもう24時を過ぎていた。
裕美子と美穂が玄関まで見送ってくれた。
沢村は居間で酔い潰れていた。
庭には犬のダンボが喉の奥で情けない音を鳴らし、うずくまっていた。
美穂が口を両手で隠し、出麹と畑山に「内緒よ」と耳打ちした。
「実はね・・・お兄ちゃんへのプレゼント・・・夏に家族で行った鳥取砂丘の絵を描いているの。完成したら二人にも見せてあげるね・・・・・」
相当順調に描けているのであろう、美穂にはプレゼントを手渡した時の雄介の喜ぶ顔が見えているかのようであった。
「お兄ちゃんの誕生日はいつなの?」
「3月だよ」
「そうか、あと3ヵ月もあればいい絵が描けそうだね」
「もう結構出来上がってるけどね、新年のレッスンで仕上げにかかるの!!」
「そうか~美穂ちゃん、おじちゃん達その絵の完成を楽しみにしているよ、頑張ってね」
畑山は自らの顔の前で握り拳を作り、美穂を激励していた。
出麹と畑山は裕美子に料理の礼を言い、沢村家をあとにした。
冷えが厳しく、歩き出すとすぐに酔いが醒めていった。
畑山とT字路で別れを告げ、家の方角に体をひるがえした。
煌々と月が満ちていた。
沢村家・・・・・どこからどう見ても、幸福に満ちた家庭。
・・・・・コンナニシズカナマチデオキタジケン・・・・・