【 16 】

 
 
  

 
12月 24日     23:30

 
 

当時の日本共産党は書記長の徳田球一らを中心とする所感派が軍事方針-武装闘争によって日本政府を打倒し、政権を奪うという戦略-を採っていた。

いわゆる極左冒険主義である。

1951年2月の四全協(日本共産党第4回全国協議会)で、日本の革命は「労働者階級のゼネスト-武装蜂起を主力とする民族解放戦争として実現される」という軍事方針を打ち出した。

その為に遊撃隊を組織し、山の中や山村地帯に根拠地を作り、「人民解放軍への発展をめざせ」と主張した・・・・・



益田は男が部屋に入るのを見届けた。

出麹はシートを少しだけ傾けた。


「この人通りの少ない道だと昼間は車での張り込み、厳しいですね。向かいのアパートの一室を借りておきましょうか?」

「畑山は教師だ。昼はアパートにはいないだろう・・・・・・が、まあ空き部屋があるかどうかの確認はしておいてくれ。それと畑山の出すゴミもチェックだ」

「分かりました」


出麹は左手でドアに肘をつき、せわしなく眉間の皺を収縮させた。


「・・・・・万が一、私が刑事だということが奴にばれたのだとしても、奴が沢村を消す動機はない。しかし何らかの誤解・勘繰りから行動を起こすことはあり得る。しばらく畑山はマークだ・・・・・」


出麹はひときわ激しく、右手の人差し指と中指を交錯させた。

車内にもじんわりと冷えが押し込んできていた。




・・・・・コノフツカガヤマダ・・・・・