【 30 】
1981年(昭和56年) 1月 1日 13:15
公開捜査に踏み切った警察だが、事態は一向に進展を見せなかった。
捜査に関わった人間は皆一様に首を捻る。
これだけの捜査網を敷いたにも関わらず、沢村美穂発見に繋がる有力な物証が出てこない。
この段階において判明していたことといえば、沢村泰介遺体の岩窟への搬送経路である。
岩窟へと至る岩場には雪にかき消されつつも、5人の足跡が辛うじて確認された。
その内の一人は遺体第一発見者の沢村雄介、またもう一人はその沢村雄介を保護・通報した第二発見者の男。そして岩場の途中で待機していた男の妻である。
残るは二人。
遺体発見当夜の鑑識の調べにより、この二人分の足跡について下記の事実が判明した。
①岩場の足跡の測定により、この二人はどちらも沢村泰介ではない
②確実に二人とも岩窟内に足を踏み入れていた
(岩窟内の二人の足跡は故意に消されていたが)
③二人は海岸に沿って走る小道からガードレールを超え、岩場へと下りている。
(沢村雄介と第二発見者の夫婦は海側、つまり浜を経由して岩場を上っている)
またこの二人が沢村泰介殺しの犯人だとすると、沢村は宙に浮いたまま岩窟へと運ばれていることとなる。
何かの袋に入れて運んだにしろ、沢村ほどの大男を生かしたままかついで雪の岩場を歩くのは、いかに屈強な男二人であろうとも不可能である。
つまり沢村泰介は最低二人の犯人に他の場所で絞殺された後、この岩窟に運ばれたとみるのが自然であった。
また海岸と平行して走る道からはこの二人の足跡とおぼしきものは見つからなかったことから、断定は避けられたが車の使用がほぼ確実視された。
そして・・・・・事件発生から二日で遺体となって発見された父親とは対照的に・・・・・・・・娘の美穂につながる物的証拠は不気味なほどに何も発見されなかった。
・・・・・シンネン、オモイオモイ トシガアケル・・・・・