【 49 】
8月 15日(金) 18:45
「母さん、ただいま」
六畳ほどの和室。
布団の中で母、裕美子が横たわっていた。
「裕美子、雄ちゃんが来てくれたで」
富美江は裕美子の枕元に正座し、頭をそっと撫でた。
「あら、寝てもうたがな~この子。さっきまで雄ちゃんの帰りを楽しみに待っとったのにね~」
差し込む夕日が心地よいのか、裕美子はすやすやと寝息を立てていた。
すっかり白髪となった裕美子の柔らかな毛が居間からの光に鈍く映える。
裕美子はこの年、ちょうど50歳になっていた。
部屋には香の匂いが漂い、扇風機の首を振る音だけが静寂の中で響いている。
富美江は雄介に冷たい茶を出すと、曲った背中をこちらに向け台所へと入っていった。
「そうだ婆ちゃん、西瓜買ってきたよ」
「あら~いつもおおきにな~雄ちゃん、美味しそうやね、さっそく切ろか」
ずれ落ちた布団を裕美子の肩に掛けている最中、ポケットで携帯が震えた。
雄介は居間に戻り、携帯を取り出した。
―ディスプレイ表記―オクヤマ―
電話に出ず、携帯を座布団に放り投げる。
携帯はしばらくの間、悶えるように震え続けるとその動きを静止した。
富美江は西瓜を運んできて机の上に置くと、小さな音量でテレビをつけた。
― ゴメイフクヲオイノリモウシアゲマス ―
テレビの向こうから眼鏡をかけたニュースキャスターが頭を下げた。
CMに入ったので違う放送局にチャンネルを移すと、
各地で開かれた戦没者の追悼慰霊集会の模様が映された。
8月15日。
今日は終戦記念日だった。
富美江は仏壇に足を運ぶと新しい香に火を点した。
富美江の父は民間商船員ながら軍に徴用され、フィリピン沖でその生涯に幕を閉じたという。
齢は39であった。
1歳にも満たなかった富美江に父の記憶は無い。
「死ぬまでに一回、フィリピンちゅうとこに行ってみたいのう・・・・・お父ちゃんが沈んどるけえの」
香の先から蛇のように煙がたちあがり、空間を舞った。
蛇は富美江の白髪と同じ色をしていた。
ニュースが高校野球を報じている。
大会は8日目を迎えていた。
「あらら、報徳負けてもうたがな・・・」
「彼らは強いよ、来年また戻ってくるさ」
「そうやとええけどね~、あれ、でも雄ちゃんあんた高校野球は絶対みいへんかったのに・・・・・」
雄介はごろりと横になった。
しばらくの間、漠然とテレビ画面を見続けた。
網膜に映像は届いているが、神経から脳へは伝わってこない。
やがて視界が薄暗くなり、闇の中で響く拍動と共に頭の奥に重い痛みが広がる。
唸り声で目が覚めた。
和室から裕美子の声が聞こえた。
何か声を発しているようであった。
「あら、裕美子が起きたみたいやね」
和室に富美江と雄介が入ると、裕美子の顔がぴくりと動いた。
雄介が顔を近付けると裕美子は懸命に口を動かした。
「ゆ~うず~げ~」
絞り出すような声。
薄らと瞳が開いているが、焦点は遠い。
雄介が額を撫でると裕美子はかすかに頷いた。
手を握り、しばらく裕美子は口を動かし続けた。
声が途切れるとすぐに裕美子は再び眠りに落ちた。
「雄ちゃん見て安心したんやね~、穏やかな顔して寝とうわ・・・」
富美江は一瞬喉を詰まらせた後、続けてこう言った。
「これで美穂ちゃんも帰ってきてくれればどれだけ救われることか・・・・・」
富美江の曲った背中がより前屈みになった。
一滴の涙が畳みに小さく広がった。
座布団に埋もれていた携帯が再び震え、動きが止まった。
「婆ちゃん、そろそろ俺行くよ」
「そうかあ、おおきにな雄ちゃん、あんたも体調には気をつけるんやで」
富美江は膝を支えにしてゆっくりと立ち上がると、台所からタッパーに詰めた惣菜を持たせてくれた。
雄介は玄関で富美江の見送りを受けながら車のシートに腰を滑り込ませた。
キーを差し込みながら携帯を耳に当てる。
「また来週来るよ」
窓を開けて富美江に別れを告げ、車を発進させると留守電が再生され始めた。
ニケンノメッセージガ アリマス
一件目―オクヤマ―
「雄介、さっき無事日本に帰ってきたよ。ソプラノから聞いた、よくやってくれていたそうだな。よし、近々肉を食べに行こう。肉をな。ちょっと向こうで仕入れた気になる話もあるしな。ところでさ、いや~なんていうか俺はやっぱり向こうじゃモテるんだよな、何でだろうな。言っておくが、金をチラつかせているわけじゃ・・・」
二件目―ゆかり―
「雄介ごめん、今実家にいるんやんね、、、あのね、昨夜、井出店長が何者かに襲われて意識不明の重体なんやって・・・・・」
・・・・・シンゴウガテンメツシテイタ・・・・・