【 48 】
8月 15日(金) 18:51
夏が峠を越していた。
夕陽に陰った入道雲が六甲山を覆う。
国道2号線を東へ。
道はすいていた。アクセルを深く圧す。
行き先は西宮にある祖母、富美江の家。
朝、帰る旨を電話で告げると富美江の声が弾んだ。
「裕美子が喜びよるけえね~」
―1980年―突如襲った夫の死と娘の失踪―妻として母として、その衝撃は心と体に激しいショックを与えた。
夫の無残な死体発見後、裕美子はみるみると衰弱した。
しばらくすると行方不明の娘を探して日々、朦朧と近所を徘徊するようになった。
その姿にかつての美貌は消え失せ、近所の住民が一見しただけでは誰だか判別がつかないほどのやつれようであった。
虚ろな瞳は空をさまよい、痩せこけた四肢は痛ましく。
心配してかけつけた親類が交替で家に滞在し、小学生の雄介と共に世話をするようになった。
そして事件から一か月ほど経ったある日、裕美子は朝から延々とうわごとをつぶやき始めた。
驚いた親類が医者に連れていくと 「心労が原因の高血圧症」 だと言われた。
二号線を左折、六甲の眺望が建物の隙間から広がった。
濃緑の山々が連なる。
富美江の家が近付いてきた。
雄介は近くの八百屋で西瓜を購入した。
裕美子は一週間ほど入院した後、家に戻ることとなった。
その翌日、裕美子は雄介の前で倒れた。
脳梗塞の発作だった。
病院で意識を取り戻した裕美子は、言葉と身体の自由を失っていた。
寝たきりのまま、言語障害で会話もままならない。
親族で話し合った結果、兵庫県西宮にひとりで住む母、富美江が裕美子と雄介を引き取ることとなった。
車が並木道に入った。
見慣れた景色――この辺りは地震の災禍が比較的小さくて済んだ地域だ。
「ミホ・・・が・・・かえって・・・くる・・・かも・・・・・しれない・・・・・・」
裕美子は新潟を離れることに激しく抵抗したが、周囲は裕美子をいったんこの地から離れさせたほうがよいと判断した。
新潟の家にはいつ美穂が帰ってきてもいいように、沢村泰介の叔父が住むこととなった。
富美江が軒先で待っていた。
雄介の車に気付くとおぼつかない足取りで手を振った。
「よう無事ついたな~元気やったけえ?」
「ずっとここで待ってたの?」
「もうそろそろかいなと思って、今出てきたとこよ」
「婆ちゃん、相変わらず丈夫そうだな。母さんは?」
「最近は雄ちゃんがよく顔を見せてくれるからの、落ち着いとうわ」
一か月に一度のペースで西宮に帰っていたが、最近は一週間ごとに裕美子の顔を見に来ていた。
裕美子の健康状態が悪化していたからだ。
「母さん、ただいま」
・・・・・キエユクセナカ・・・・・