久しぶりにお仕事の話をしようと思う。
私は、秋田県の仙北市というところでガイドのお仕事をしている。
ガイドの仕事場所は「乳頭温泉郷」という、日本の温泉好きに知らない人はいない有名どころ。
「仙北市のガイド」と自称しているので、乳頭温泉郷のほか「角館の武家屋敷」や「田沢湖」「抱返り渓谷」といった場所もガイドをする。
メインのガイド仕事は乳頭温泉郷。
「温泉をガイドする?」と思われるかもしれないけど、自然 : 温泉 で半々のトレッキング、というか森歩き。
温泉目当てに来る方が多いが、実は休暇村乳頭温泉郷から黒湯温泉に上っていく道は、実は大変豊かなブナの森なのだ。
植生だけでなく、ところどころで出会える温泉のとの関わり、季節の花や山菜、そしてあまり会いたくない野生動物の痕跡や、そこから垣間見える 山とともに暮らしてきた先人たちの暮らし。
季節で色や茂りを変え、日ごと一日として同じ顔を見せないブナの森。
そしていろいろな由来や歴史、物語を持つ個性の違う温泉宿。
話すネタが尽きることのないルートを、約2時間かけてご案内をする。
乳頭温泉郷ガイドの様子 夏
この仕事をすることになったきっかけは、乳頭温泉郷組合さんが募集をしていた「乳頭温泉ガイド」の募集だった。
ちょうどこちらに帰ってきて2年目。Uターンして入った会社とは結局合わず、いろいろな観光施設で働いてみるも「朝6時から夜10時までほぼノンストップ」みたいな仕事も多く、ちょっとメンタルも落ちかけてきた時だった。
テーマパークでガイドをしていたという経験が面白がられてすぐ採用となったが、実は不安もあった。
なにしろ「乳頭温泉郷」なんて、地元民はほぼ入りに行くことはない。
仙北市民に聞いても「え?7つも温泉宿があるの?」とか「もう何10年も行ったことがない」という人の方が多いと思う。
私も高校卒業して上京するまでは、登山行事で1、2回しか行ったことがなかった。
地元民なのに、全国規模で有名な「乳頭温泉郷」についてかけらも知識がなかった。
そのはず、江戸時代から昭和中期まで県境を守る防人や時々お忍びで藩主や官人、農作業や山仕事で疲れた体を湯治で癒しに行く場所だった。
昭和中期~後期にかけては山で働く人たちの山仕事の拠点でもあった。
けれど街に人が住み、みんな車に乗るようになっても、ひなびた温泉場に行くぐらいなら、もっと楽しく余暇を過ごす方法がいくらでもあった。
その昭和後期に旅行ブーム、国定公園認定などで旅行雑誌にも多く取り上げられ、またその記者さんや作家さんで構成される団体から「一度は行きたい秘湯1位」として紹介されたころから、一気に「温泉好き観光客」のあこがれの場所となったのだ。
乳頭温泉郷 鶴の湯温泉 冬
そして今でも、まず地元の人はここの温泉を目指すことはあまりない。
観光客で混んでいることもそうだけれど、田沢湖近くで温泉に行くなら、水沢温泉郷や田沢湖高原温泉に行っても十分「温泉」を満喫できるのだ。
市民的には「温泉に入りに行く場所」よりも「仕事場」としての認識が強いかも。
しかし果たして私は、「温泉ガイド」として初めて現地オリエンテーションをさせてもらったときに一発で「なにココ!!!おもしろい!!!」と好奇心が爆発しまくってしまった。
冒頭で述べた自然の限りないほどの豊かさ、ここで暮らしを立てていた人がいたという歴史、温泉の個性と4km四方にある全ての源泉の泉質が違うという不思議さなど。
とりわけ面白かったのは、この森の99%を占めるブナの話だった。
地中の水、体内の水を気候によって調整すること、季節ごとや天気によってみられる現象の違い、温泉との関わり。
知れば知るほど、ガイドとしてどうかみ砕いてお客様の心に提供していくか…それを考えるのがめちゃくちゃ楽しかった。
もちろん、各温泉宿さんにも足を運ぶようになり、顔を覚えてもらってかわいがってもらった。
特に、いまでもガイド時には必ず立ち寄り休憩場所とさせていただいているご縁深い黒湯温泉の湯守さんに聞いた話は、今でも心に残り、私のガイドの基盤となっている。
黒湯温泉さんは7つの温泉宿で唯一「源泉」が見られる温泉宿だ。
その源泉から湯を、少し離れた湯小屋にかけ流すのだが、源泉の温度は90度近い。
そこで湯守さんの出番だ。
ここまでの山奥には水道管なんぞ引かれていないので、乳頭温泉郷のすべてのお宿は、自分の宿の一番近い川の水をくみ上げ、濾過して使っている。
黒湯温泉さんも近くの「黒湯沢」という川の水を湯小屋の横までくみ上げる。
その水でかけ流しの湯をちょうどいい温度にして湯船に流すのだ。
黒湯温泉さんの源泉 下の湯
私が初めて「湯守」という職業の人に会ったのは、この黒湯温泉さんだった。
Kさんというその湯守さんは、小さな体で昔の無線機ほどもある大きな温度測定器をもって、毎日湯と湯の間を飛び回っていた。
なかなかに口が悪かったけれど、とても深いことをぽろっと漏らしたり、そして聴いたことには真剣に答えてくれた。
KさんがいないときはWさんという人が湯守をしていたが、この人も無口だけれど、森と温泉にたいそう詳しい人だった。
ざっくりいうと、このお二人は私にとっての「乳頭温泉郷の師匠」だ。
このお二人が私に残してくれた言葉がある。
「俺たちの仕事は地球のごきげんを伺うことなんだよ。
地球が自然として提供してくれたものを、お客さんに温泉という形で出会わせる。
いい湯っこだな~と思ってもらえる。湯守はそんなやりがいのある仕事だよ」
黒湯温泉に限らず、温泉というのはただ同じ場所にわき続けているわけではない。
枯れるところもあれば、いきなり近くに湧き出すものもある。
現に黒湯の源泉は、場所ごとに湧き出す湯の量や温度が違う。
一冬超えたら、去年沸いていたとこから今年は10m先になっていた…なんてことはザラだ。
雨が降る日はなぜか源泉の温度が高くなる、とも言っていた。
黒湯名物の黒たまごも、同じところにつけていても真っ黒だったり斑だったり、ある日はグレーになったり…。つまり成分濃度も一定ではないのだ。(温泉成分は変わりません)
そんな温泉を湧き出させているもの…それが地球の、今なお続く地熱活動だ。
いま暮らしている私たちが生まれる、もう何千年も何万年も前から、この場所には温かい湯が沸き続け、命を養ってきた。
そしてその湯となる水は、豊かな森の植生が天からの贈り物を貯め、育んだものなのだ。
これまた何千年、何万年かけて。
それをうまくコントロールして「温泉」という形にしてくれるのが湯守という仕事なのだ。
彼らは私にそう伝えてくれたのだと今も思っている。
もうKさんは他界され、Wさんもとうに黒湯温泉にはいらっしゃらない。
けれどもこのお二人が残してくれた一つの言葉は、今も私のガイドのベースになっている。
ただその場を案内し、目に見えるものを伝え、歴史を語ることもガイドの仕事ではある。
けれどもここを訪れてくれて「ガイドしてもらいたい」と言われたからには、私はこの「温泉は地球のご機嫌」という言葉を必ずどこかでお客様には伝えるようにしている。
いま地球のご機嫌を、私たちは寄ってたかって損ねようとしていることに、少しの気づきを持ってもらえたら。
微力ではあるけれど、それもガイドの仕事なのかな?と。
そんなわけでクマの出現におびえながらも、今年もあの場所でガイドができることに喜びを感じている。