続✩.にいにが生まれたときの話のひとつpart2の つづきになります

 

 

 

 

わたしは、この病院で、産むことをきめるとき、

バースプラン(Birth Plan)というの

を書かされていました

 

A4サイズの紙の書き込み欄にそれなりにビシッと書いた覚えがありますが、、

結局のところわたしが願ったのは

 

切らないで欲しい

ということ

なるべく

できるだけ、

切らないで、産ませて欲しい

と書いていました。

 

 

 さて

 

つづきを書きますね!

 

 

 

にいにがうまれたときの話のfinalにします

finalにしたくって、長文になりました

 

時間ある時に読んでください

 

 

°.✩┈┈∘*┈˃̶୨୧˂̶┈*∘┈┈✩.°

 

 

決死に、がむしゃらに息んだり

お腹を おされたり

 

 

どのくらいの時間そうしたのか。。

 

  (。>ㅿ<。)

 

 

ついにdr.がわたしに言いました

 

はい、EINを切開しますよー ( ˘ω˘ )┛

 

 

 

わたしは言いました

 

嫌ー      

 

(。>ㅿ<。)

 

 

 

 

 、、、、、。

 

 

 

 

 え…     ( ˘•ω•˘ ).。o

 

じゃあ

 

いいゃ    

 

 

そのまま…    (´ー`;; )       (と、dr.の声 )

 

 

 

 

 

 

次の瞬間

 

わたしはにいにを産むのです

 

 

 

 

とうとう、生まれました(✽´ཫ`✽)

 

 

 

˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙˚˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙˚˙༓࿇༓˙˚

 

(⑉꒦ິ^꒦ິ⑉)♡*⃝̣◌⑅⃝◌*⃝̥◌*⃝̥◍*⃝̣◌⑅⃝◌*⃝̥

 

 

 

 

わたしは 

にいにを産んだことに気づいていませんでした

いつのまにやら出てきていました

 

出産時に撮ったビデオは 生まれたところから始まっています。

にいにが生まれたので、あわててDNがカメラをまわし始めたようです。

ビデオの中のわたしは生んだことに気づかずに

 

切らないで、、(☍﹏⁰) なんて

まだ言っていました。

 

 生まれてるのに…+.(◕ฺ ω◕ฺ )゚!

 

元気な産声が、ひびきました

 

 

 

にいには大きな赤ちゃんでした

3315g

体重は、まあ ですが 頭囲が大きかったんです

 

あんな大きな赤ちゃんを産んだというのに 

産んだ感触はありませんでした

 

 

不思議なことに

 

産道を通過する感覚

大きく裂けたときに伴うはずの強烈な痛み

を自覚することもありませんでした。

 

 

わたしはこの4年後、

苺子を産みます

自宅出産したのです

そのときは 

赤ちゃんを通過させるため骨盤が開く痛み

通過して行く痛み

産まれる直前の感触 全部がよくわかりました

 

 

 

にいにのときは 

なぜ感じなかったのかな。。

せっかくがんばって産んでるのだから、ちゃんと自覚したかったな

 

よっぽど身体や脳はパニックしてたんだな

 ショック!

 

わたしは広範囲が裂けたらしく

Dr.は 縫うのをいささか嫌そうにしていました

 

アーアε-(´д`)ヤレヤレ   ←って感じだったのだと思う、、、

 

でも裂ける痛みを まともに感じなくてよかった。。

きっとエッらい痛いよね  救われたσ(^_^;)

 

 

 

で?

 

わたしは…

 

 

 

広範囲が裂けた…?

 

 

 

 

なんて      

 

(´д⊂)

 

 

 

 

 

どんくらいなんだろうね?

 

 

 

ちゃんと、もとに戻るのかな

 

あんなとこは人に見せるようなもんじゃないけど

やっぱ、

ちゃんと、もとどおりにしてほしい…

 

 

 

 

よかった

生きてて   

 

 

 

( ⁎ᵕ̥̥ ˟ ᵕ̥̥⁎ )

 

 

 

にいにはすぐ連れていかれて

すっごい、泣いてた   

 

 

わたしは、チクチク縫われていました|   ´ω`|

 

なんだか、わたしの脳による麻薬効果は、薄れ始めたのか、チクチク、チクチクと、痛みにリアル感がでてきました

 

でも、さっきまでのあれを思えば、、

 

 

鼻くそみたいね

 

そんなのは、、

 

あ いけない、ハナクソなんて、言っちゃった〜

(Ŏ艸Ŏ)

 

 

結局、、、

 

たくさん、けたなんて、

 

バカなわたし

 

 

 

 

?わたしはばか

 

 

 

だって 

 

 

 

切られるのは…

どうしても、嫌だったの   

 

 

 

 

 

退院のときに抜糸したのですが

そのとき、抜いた糸は4本ありました 

少なくとも 単純な裂けではなかったのでしょう

 

 

 わたしのそこはどんな状態か、それは 向こう側にいる先生や助産師しか見えないし

縫合されてしまった後では知る由もないけど

終わった後に 確か

15針くらい縫ったと告げられました

 

アソコを 15針って いったい。。。

( ´ ཫ ` )

倒れそうだった…

 

いや、もう倒れてるけど( T_T)←

 

 

 

早く

にいにに会いたい  (゚´Д`゚)゚。

 

 

 

はい、生まれましたよーって、見せられて、

固い紙で包まれたにいにを紙の上からしか触らせてもらえず、すぐに連れていかれました    ( ⁎ᵕ̥̥ ˟ ᵕ̥̥⁎ )

 

向こうも

わたしにきっと会いたがっているでしょう

今までずっと、、一緒だったから

 

dnは、付き添っていき、にいにが、処置される様子をビデオで撮っていたみたいだから、

わたしの、縫合をされているときの映像はありません。

本当は、撮っておいたならよかったのかも、 傷はどんな様子であったのか、わかる手がかりになったと思う

 

 

わたしは、にいにを産むことが出来て、幸せでした

*ଘ( ॢᵕ꒶̮ᵕ) 

ひとりぼっちだったけど、

ひとりじゃなくなりました

 

でも、

この傷の痛みに

このあと、ずっと悩まされることになります。

 

 

四六時中痛い状態が1年

 

日常生活、その痛みから開放されるまでに

ゆうに2年!も

かかりました

 

 

 

一体なんでそんなに痛みがつづいたのか、

表面の皮膚は、縫われて、塞がっているけど、

中は、くっついてない傷がいっぱいあるのでは?

って、思えるようでした。

 

どういう痛みかひとに説明する時何て言おう、

わたしは、痛い2年の間、このことをよく考えさせられたものでした。

 

こたえは、こうです、

 

とか、熊とかの、肉食動物に

おしりをガブッとΣ(¯ᐞ´(ω•´ )ガブッ

噛まれたみたい

 

と、←本気

 

 

どんな痛みにわたしは耐えてたの

 

 

1ヶ月検診の時に、産んだ病院で、相談しました。

 

R先生はとても優しくしてくれましたが、

 

 

もうこのことは相談しないで( ´ ꒳ ` )

 

 

と、言われて、

 

担当助産師にも、

 

あまり、ふれたくない話のようなそぶりを露骨にとられて、当時傷つきました

 

わたしは、責めたい訳ではなくて、

 

早く治る方法をアドバイスして欲しかっただけなのに

 

結局それは、かなわず、

 

その後も時の経過だけが、わたしの味方になりました

 

 

2006年当時

スマホは無かったしネットを見るにはPCをたちあげるのですが、

それも、今みたいに早くなくて

 

ういーん…と、時間かかりました

 

それでも、あまりに痛みに悩まされてて

何か情報はないか、時折調べたものだけど、

 

ほとんど、わたしと同じ経験をした人の体験談などを見ることはできませんでした。

 

さきほど、少しぐぐったら、

でるでる、

たくさんでました(*´-`)

 

もしこの環境が、あの頃あったなら、

もっと、救われたり、励みにしたり、できたろうにな。

少ししか見ていないけど、

でも…わたしほどの経験(15針もの傷)は、あまり、なさそうです、…

 

2年も痛いなんて言っている人も、

誰もいなそうだわ

 

わたしは、年がら年中、痛かったのだけど

 

毎日子育てにおわれ、過ぎゆきました。

 

ほとんど、人に話すことも無く、

痛みとともに静かにくらしていました。

 

 

 

 

抱っこして立ってるだけでも、きつかった

にいには、

立たないと泣くんだー  。。。

 

 

 

でも、これは

 

。・。

にいにがでてくるときに、

できた傷だから

 

 ·° ˚‧

にいにが苦しいとこから解放されたときにできたのだから、

 

そして

生まれたにいには無事だったから、

 

 

我慢してこれて、

 

幸せだと思えました。

 

 

これが

もしちがったなら、

もっとせつなかったのでしょうね(ㅅ˘︶˘。。

 

 

 

その病院は母子同室で、

 

にいにを産んだあとも、ほとんど、眠れませんでした。

 

ベットも埋まってて、(ほんとうに、いろいろなタイミングはわたしにやさしくないことばかりでした)

空くまで、わたしは、陣痛室にいました。陣痛室は分娩室のすぐとなり。

わたしの次に出産した、あの彼女の出産も、見守り、、でなくて、聞守って( ´ ꒳ ` )いました。

dnは、陣痛室で、グースカ、寝ていました

 

やっと、ベッドが空いたら、

義母と義妹が、来てくれ、あのあとのままの顔に、ファンデーションを塗って、むかえました。

 

 

 

休めるどころか、

まだまだこれからこそ、大変だったんだ

 

 

出産はゴールではなく

 

まさしく、スタートでしたょ

 

 

↑産んで1時間後に、やっとにいにをだかせてもらったところ   分娩台に仰向けになってます

 

 

 

わたしは、2014年の秋にヨガをはじめて、

どんどん調子がよくなるのを感じました✩

 

わたしは、またもとにもどれる

運動出来る

 

って、思えて

それが

この記事を書く、きっかけになっていきました。

それまでは、

このことを、どこかで、消化出来ずにいたのです

 

 

 

わたしは、

もしも、出産時に失敗し、

かつてのわたしと同じような症状に悩む人がいたら、

はっきりとアドバイスできます!

 

回復を早めたいなら、ヨガをやると良いと!

 

自分はわからずに

そのようなアドバイスは受けれずに時を重ねてからになってしまったけど…

もっと、早く、ヨガをしていればよかった

と、心から思います

 

このはなしは、また別の記事でも

どんどん、ふれてゆきます  

 

 

それと、もうひとつ、まだ、書きたいことが残っってます、

にいにが、いかに、すごい赤ちゃんだったか!です  

 

また、にいにの誕生日にはきっと思い出すので、

また、きっと、つらつら書き出すかもです

 

 

 

 

それでは•*¨*•.¸¸☆*・゚

 

 

 

 

 

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