いつもご訪問いただきまして、ありがとうございます。

東京・浅草、天然石工房POPiNSです。

 

 今週は半ボケ・バイデン劇場によるウクライナ危機、

確実に進んでしまっている汚水ワクチンの詐欺的接種、

フリーダムコンボイの無法弾圧・・・・

と、ダルいニュースが続き、心身ともに疲れてしまいました。

 

ホント、疲れてしまいますよね。

 

 だったら、自分の視覚に入れなきゃいいんだけど、

そーゆーワケにもいかず。

(これについてもいつかは書かないとなりませんが)

 で、昨日も急ぎのニュースがあったので

土曜にご案内している歌も今日にズレ込みました。

 

1つ前の記事

右差しスピリチュアルの反ワク行動

でニューエイジ系というかセドナメソッド系の

スピ人の方々をイジった直後なので

ちょうどよい機会かと思いまして。

竹内まりやの“人生の扉”のシェアです。

 

 この曲は2度目のご案内になってしまいます。

僕にとってめちゃくちゃ大事なアーチストで、

天賦の才をもって生まれた歌姫が

つむぐ歌にはいろいろと気づかせてもらうことが多いです。

 

また、適度に太く、適度に高くなる歌声も

聞いているだけで気持ちが落ち着いてきます。

 

つまりは、ガチで心地良く。

 

 前回、ご案内した時も書きましたが、

この曲が発表された直後は

「竹内まりやはガンかなにかになって

死期でも感じたのか?」と勘繰ってしまい、

しばらくの間は心配でなりませんでした(笑)

 

 「春がまたくる度に」

「満開の桜や」

といった少ないフレーズのために

この3~4年は桜が咲く季節になると、

この曲を思い出してしまうようになってしまいました。

 

ハッキリ書けてしまうと、

手放しで「春だ桜だ~、ルンルン」って気分になれないんだけど。

 

 近年は、最後のフレーズ、

And they say that life has no meaning 
   But I still believe it's worth living
 

 

 今、ニューエイジ系、セドナメソッド系の

ワークに励んでおられる方々はガン無視していただいて結構。

(真に受けるとワークが進まなくなるので)

起きる事象、感情、思考などには

何の意味もなくて、それらをバッサリバッサリと

切り捨てて手離して統合してしまえ~っ!

と最も手軽で成功率の高いワーク。ざっくりと言うとね。

覚醒のためのワークとしては、例えばライザップのような

メソッドです。

 

 これとまったく真逆のことを言っているのが

オリエンタル系の修行。

 

どっちが正解・どっちが間違っている、ってことではなく、

それぞれの段階によって使えばいいだけ。

 

で、オリエンタル系でも

OSHOなんかは、

悲しみ、苦しみをすぐに捨て去るなんて

君たちはなんてもったいないことをしてるんだ。

幸せや喜びはその瞬間で終わってしまうものだ。

けれど、悲しみ、苦しみから得られるものは

無限にある。

といったような主旨の言葉を多く残しています。

 

つまりは、すべてを受け入れ、

その1つ1つによって起こる自分の内側の波を

観続けてゆくことを推奨されている。

 

 つまり「分離」だの

「統合」だの

「解放」だの

「怒ってはいけない」

「一喜一憂しない」

「許す」だの

「手離す」だの

「自分軸」だの

「創造主」だの

やれ「ジャッジ」だの

また、「それ」に意味が有ろうと無かろうと、

そんなことではなく

すべてを受容して、

受容した自分をひたすら観続ける・・・

といった感じかな。

 

 クドいけど、現在ニューエイジ系、セドナメソッド系の

ワークをされていらっしゃる方は

しばらくそのまま続けることをおススメします。

 

いずれ、お望みの覚醒の機会が訪れてから

オリエンタル系の修行に切り替えたり、

足してゆくこともできるはず、

それからでも遅くないと思うから。

 

一番良くないのは

昨日はタロット

今日はバシャール

明日は宇宙ヒーリング

来週はチャネリングセッション

再来週は神社参拝

来月はN木さんのセミナー

来年はセドナに行きま~す

と同時にあれもこれもと手を出してしまうこと。

バカなの?(笑)

 

1年でも2年でもガチに取り組んだら、

ほとんどの場合、ワンネス体験くらいは到達できるでしょう。

(むしろ、ワンネスから後の方がもっともっと遠大なんだけれど・・・)

 

 僕も元はバシャールから

ニューエイジ系、セドナメソッド系のワークによって

奇跡的にワンネス体験まで滑り込むことができたクチなので、

それらを否定するどころか

大変有効なツールだと感じています。

 

ただ、それらがすべてではなく、

また、それだけが正解というワケではないってことです。

 

だから、前々回の動画のメイさんだったかメイコさんに対して、

ワークの途中過程の俗に言う「途中の鼻高さん」たちが

「怒ったりするのはスピリチュアルから離れてしまってる」

みたいな発言やコメントを寄せて

彼女に逆ギレされてしまうのです。

 

そんな途中過程のスピ人には

「分離を生んでるのはアンタたちだ!」と言ってあげればいいだけ(笑)

 

 

 話を歌に戻して

And they say that life has no meaning 

But I still believe it's worth living 

 

このセンテンスを聞き逃してしまうと、

この曲はただの加齢による悲哀の歌になりかねません。

 

オセロでもたった1枚で形勢が大逆転してしまうのと同じように、

この曲も最後のセンテンスによって

希望に満ちた歌へと真逆に変貌します。

 

これが竹内まりやマジックの真骨頂です。

 

ホント、多くの要素を含んだとても好きな一曲となっています。

 

 宇宙の中の小さな星に生まれた

とても小さすぎる、そして短すぎる人間の生命は、

大宇宙の無限の時間の中では

意味なんて見つけることは不可能に近いです。

 

でも地球フィールドに生まれて

何十年か生きている間だけは

life has no meaning

なんて感じたくも言いたくもありません。

 

例え、見栄だけであっても、イジを張ってでも

I still believe it's worth living 

と言い張って生きていたいくらいです。

 

生きていれば

嬉しいし、悲しいし、憤るし、困るし、

AIのようにシンプルに演算処理なんてできません。

だって、それによって気持ちよくなったり

苦しくなったり、痛くなったり、

暑くなったり寒くなったりするんだから。

 

桜や色づく紅葉を見ただけで

いろんな感情が沸いてくるほど

魂ってめちゃめちゃゴージャスなのです。

 

追記

 このブログを数年に渡り応援して下さり、

今回のクソったれワクチン問題でも真反対のご意見だったにも関わらず、

それでも変わらずずっと応援して下さっていた同士が他界されたそうです。

2016年から始めたこんなブログでも

フォロワーさんが現れては退会されてゆくなかで

いつも変わらず早い段階で「いいね!」をつけて下さって。

 

僕も彼女にこのブログを読んでいただくことによって

一種の安心感をいただいておりました。

 

そして、病院を入退院されてらっしゃる彼女のことを考えては、

「コロナはただの風邪だ!」という言葉が書けなくなったりしました。

 

彼女の容態を想ったり、

彼女の身になって考えると、

(既往症をおもちの方にとってコロナに罹患してしまうことへの深刻な不安感)

ワクチンに望みをかける、もしくは望みをかけたくなる

そのお気持ちは僕にだってわかるように思えたのです。

 

 なので、ある時からワクチンの副反応による被害については

記述をさけるようになりました。
 

僕らのような健常者にとってはただの風邪とかインフルエンザ級であっても、

あれだけマスコミや行政があおりまくれば、

彼女たちにとっては「ただの風邪」では済まない死活問題に

感じていたことでしょう。

 

 それにも関わらず、

また意見や見解の違いを超えて

ずっと応援して下さった彼女のことを想うと

反ワクチンの記事を書いていても

心が痛く感じていました。

そして彼女の「いいね」が付く度に

とってもありがたく感じていました。

 

去年末、22日のブログを最後に

彼女の投稿は止まったままでした。

年が明けても彼女のブログは再開されず、

時に触れては彼女のことが気になっていました。

 

そして、今日、2/20、彼女が御逝去されたことを

他のブログで知りました。

 

遅まきながら、彼女のご冥福をお祈り致したく思います。

 

Bitter&Sweet様、

リアルで一度もお会いすることはできませんでしたが

長い間、本当にありがとうございました。

ただただ残念で

ただただ感謝しかございません。

ちょうど『人生の扉』をシェアしたのと同じ日にアナタの訃報を知りました。

なので、この曲を聞いていただきたく思います。