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店主です。
昨日は久々に古い友達から連絡があり、
それがきっかけとなって日常の生活からパツーンとイッてしまい、
流れるがままに内観っぽいことをしていました。
僕が小学生になったばかりの頃だったと思うのですが、
当時東京12チャンネル(現テレビ東京)で平日の夕方に
子供向けの絵本を朗読する番組がありまして。
当時の東京12チャンネルはまだ全国にキーステーションを
網羅しきれていなかったので、
首都圏以外ではこの番組を知らない方が多かったかも知れません。
話はそれますが、当時のテレビ東京は
他局から払い下げされた番組を再放送ばっかりしていて、
CMも宗教団体や中華料理店の宣伝が多かったように記憶しています。
書いていて思い出しましたが、
りんりんりゃんりゃん りゅうえん
りんりんりゃんりゃん りゅうえん
りゅうえん行って幸せ食べ~よう
みたいなCMソングだったような。
きっと、りんりんりゃんりゃんは歌い手の姉妹の名前で
りゅうえん=龍園という中華レストランのことだったのではないか?
と推測していますが。
まぁ、どーでもいいんですが。。。汗
で、絵本を朗読する番組ですが番組のタイトルが
どうしても思い出せません。
確か岸田今日子さんが朗読していたはずです。
それは思い出せるのですが、
番組タイトルがどうしても出てきません。
これを瀧・三葉症候群というのですが。。。
その番組で知った絵本が40年ぶりくらいに
友達の連絡を機に強烈に記憶に蘇ってきました。
僕が覚えている放送の回は
『スーホの白い馬』というモンゴルの民話を題材にした物語の回です。
『スーホの白い馬』は当時
福音館書店から絵本として販売されていて、
現在では国語の教科書を扱っている
出版社に版権が移っているようです。
簡単なあらすじはwikipediaから引用しますと。
ある日、遊牧民の少年スーホは帰り道で倒れてもがいていた白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てる。
それから数年後、領主が自分の娘の結婚相手を探すため競馬大会を開く。
スーホは立派に成長した白い馬に乗り、見事競馬大会で優勝する。
しかし、領主は貧しいスーホを娘とは結婚させず、
スーホに銀貨を三枚渡し、さらには白い馬を自分に渡すよう命令する。
スーホはその命令を拒否し、領主の家来達に暴行され白い馬を奪われる。
命からがら家へ辿り着くが、白い馬を奪われた悲しみは消えなかった。
その頃、白い馬は領主が宴会をしている隙を突いて逃げ出したが、
逃げ出した際に領主の家来達が放った矢に体中を射られていた為、
スーホの元に戻った時には瀕死の状態であった。
看病むなしく白い馬は次の日に死んでしまう。
スーホは幾晩も眠れずにいたが、ある晩ようやく眠りにつき、夢の中で白馬をみる。
白馬は自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残した。
それがモンゴルの民族楽器・馬頭琴となったのですが。
当時の僕にとっては、なんともやりきれなく、悲しく、切ない物語に感じまして、
その悲しい気持ちが原動力となって
学校の図書館で『スーホの白い馬』の絵本を借りました。
僕が本を最後まで通読できた最初の本です。
(絵本でしたが・・・)
ちなみに僕の本嫌いは小学校・中学校を通して一貫していまして。
多分10冊も読んでいなかったはずです。
小学校2年生から6年生まで、夏休みの読書感想文は
ずっと『ベーブルース』でした。
ベーブルースの好きな病弱な少年を元気づけるために
彼は少年にホームランを打つ!と約束し、
そして本当にホームランを打つということに感動しました・・・
という感想を2年生から6年生まで同じパターンで書いて提出していました。
マジでテイタラクな小学生でして。
とうとう6年生の時に担任に気付かれてしまい、
母親に連絡がいってしまいましたが。。。
話がまたそれてしまいましたが、
『スーホの白い馬』のこと。
この美しくも切ない物語を子供の頃の僕は
言葉で表現ができませんでした。
なんか、ずっと胸の奥に重いものがいつまでもつかえてしまったような
憂鬱な気持ちがありました。
もちろん、その当時の僕は
モンゴルという国がどこにあって、
国情はどんなものだったか?
など知るはずもなく、
ただただ、よくわからない異国の悲しい物語に
心を痛めていました。
なので、感動はしていたものの、
とても感想文に書けるような心境になれませんでした。
脱線ついでに、中学1年生の時の読書感想文は
『ねらわれた学園』でした。
ちょうどその頃、薬師丸ひろこが同名の映画のヒロインを演じたという
それだけの理由で。
本当にテイタラクな少年でして。。。
国語の先生から
「SFなんかダメだ!」
と、つっ返されてしまい
仕方なく、伝家の宝刀ベ-ブルースの感想文を提出しました。
結局、小学校2年生から中学校1年生まで、
ベーブルースの読書感想文となったのですが。
なんで話が脱線するんだか。
で、今度こそ本当に『スーホの白い馬』のことを。
この物語で子ども心に「弱い者が美しい」的な
考え方が頭の中に巣喰ってしまっていまして。
それは、けっこう深い部分に主病巣があったようで、
思考のレベルより深い部分であったため、
どうしても自分では気づかないうちに、
「弱い者が美し」く感じてしまうパターンを構成していたようです。
「判官びいき」という言葉があるように、
それは僕だけじゃなく日本人には多い
思考パターンなのかも知れませんけどね。
善いとか悪いと断じるものではなくて、
その思考パターンというか内面のブロックに気付くことに
価値があって、
「治す」とか「正す」とか「是正」するものでもないようです。
昨日、僕はようやくそれに気づいて
子どもの頃、なんであれだけ胸の奥につっかえていたのか
納得できました。
きっと、僕の数ある前世のなかで一度は
これに類するような理不尽な経験をしたのかも知れません。
また、理不尽なことを他人に強いたことがあるのかも知れません。
この時期、やたらと自分の幼少期の思い出を回想すると
深いところに沈殿していたブロックが正体を見せることが
頻繁にあります。