いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
店主です。
今日はまたアクセサリーの話題ではなくて、、、、
今日もだろ。。。。
土曜日、いつ雨が降りだすか判らない天気の中、
泪橋の近くにある自家焙煎珈琲屋バッハに豆を買いに行ってきました。
昔、南千住にすんでいた親戚がいまして、南千住や泪橋はガラが悪くて
子供心にも好きになれない街でした。
ところが、大学生の頃、自分もそんな街に住むとは思ってもみませんでした。
僕がまだ幼稚園に行っていた頃は、
親戚の家の近くに使われなくなった「東京スタジアム」という球場が放置されて、人気のない大きな構造物やその周辺に今でいうホームレスな方々や
土木作業に従事されてた大人がワンサといて、
子供だった僕でもちょっとキナくさい雰囲気を感じていました。
なんか、ショッカーが「キィー」と言いながら現れそうで。
ビートたけしもつくり話で「南千住でカツあげされた!」
と言うくらい昔の南千住はかなりキナ臭い街でした。
僕が住んでいた頃も国松長官が銃で狙撃されたくらいなので
あまり変わらなかったのかも知れませんが。。。
ところが、その南千住にあった東京スタジアムにショッカーどころか
もっと大物が現れたことがありました。
あのゼットン。。。
ご存知、初代ウルトラマンを倒した強敵中の強敵。
そのゼットンが「帰ってきたウルトラマン」の最終話、
南千住6丁目に現れたのだ!
MAT隊員もだけど。
位置関係からすると、現在の荒川工業高校の校舎の辺り。
ゼットン、暴れる場所を考えろよ!
この辺りは長屋ばかりなんだぜ~!
ちなみに、この時はウルトラマンがウルトラハリケーンとスペシウム光線の
合せ技で、リベンジに成功している。
だいたい国道4号線沿いの素戔嗚神社の上空付近だろう。
また話がそれてしまった。。。
まあ、ゼットンが出現した南千住6丁目から歩いて10分くらいのところに
泪橋という地名があります。
僕が物心ついた頃には既に橋も川もなくなっていましたが、
地名として「泪橋」という名称は現在でも残っています。
泪橋といえば、江戸時代は小塚原刑場を後ろに控え、この橋を境に
罪人とその家族が離れ離れになっていたと言われていまして。
それで、涙を流してお別れいたので「泪橋」と命名されたのだとか。
なので、僕は「泪」という漢字がイマイチ好きになれず、
あまり表記したりしません。
もっぱら「涙」を方ばかり使っています。
やがて昭和40年代になると、
「あしたのジョー」の舞台にもなりました。
僕が子供の頃、泪橋一帯は、あの漫画のような雰囲気がプンプンしていました。
さすがに、丹下団平は見なかったけれど。
それなりに怖かったし、血を売買するところもあったりしたようです。
現在は矢吹丈の近所の人々が、そなまま高齢化したような感じ。
そこに10年くらい前から格安の宿泊施設を求めて欧米の
若い旅行者がガイドブックを持って出入りするようになって。
また再開発で新しい高層マンションも立ちはじめ、
重たい雰囲気ながらも少しづつ変貌を遂げています。
そんな所です。
やっと本題です。
その泪橋からすぐに
コーヒー通がうなる名店バッハがあります。
創業は1968年というから僕が生まれた年と同じ年に開店したようです。
しかし、あの当時の泪橋にコーヒーショップを開業した
田口護さんというコーヒー界のカリスマは何を考えてたんだろ?
といつも思ってしまいます。
現在では、東京のコーヒー四天王とか、コーヒー界の神とか
言われるくらいの名店ですが、土曜日に僕が行った時も
店の周囲には上半身裸の壮年男性が4,5人路上で酒盛りをしてました。
このバッハを訪れた人のブログには、
なぜあのような場所に店をかまえたのだか疑問だ・・・
みたいな文章もあったり。
さてバッハは、全国のみならず世界中からその味を求めて
いろいろな人が来ていまして。
いつ行ってもお客さんがいっぱいで、時には外で待たされることもあります。
店員さんも、自分で喫茶店を開業する前に修行として
このお店で働いている方が多く。
バッハがここまでコーヒー通に評価されるようになったのは、
厳選された豆を使っているのはもちろんですが、
焙煎が凝っているからだそうです。
挽く前のコーヒー豆って、よく見ると肉厚のものやそうでないものが
入り混じっていることに気付かれると思うですが。
バッハでは、そうした豆を肉厚のものから薄いもの
4段階だか5段階に選り別けるそうです。
1粒1粒、手作業で選り別けるハンドピックを行ってから焙煎してるんです。
果肉の厚い豆は熱の通りに時間がかかるけれど、
反対に果肉の薄い豆はそんなことをしているうちに炒り過ぎになってしまう。。。
なので、均等に味を出すために焙煎前に豆を選り別けるんだそうです。
果肉の厚さごとに焙煎を別けるので、それぞれベストな風味で仕上がる、
そこまで凝った焙煎によって、コーヒー界のレジェンドと
言われる一杯が僕らに提供されています。
僕も初めてこの店の一杯を飲んだ時、
豊かな風味に感動さえ覚え茫然としてしまいました。
冷めつつあった最後の一口でさえ苦味の奥に甘さがあって。
しばらく思考停止。。。みたいな。
それは矢吹丈のクロスカウンターを喰らったような。
ホセ・メンドーサのコークスクリューを喰らったような。
レイの飛翔白麗を喰らったような。
「また美味いものに心を奪われてしまった・・・・w」
(ウソだけど。。。)
本当に良いもの。
自分が納得するまで追求したもの。
こればっかりは誤魔化せないないし、評価という価値基準を超越して、
感動を与えてくれます。
このお店で一杯飲みながら、挽き売りの豆を買って帰る。
これが僕のささやかな贅沢で、大きな喜びです。
そこには、立地条件やコストなど問題にならないくらいのパワーが
確かに存在しているように感じます。
ゼットンや丹下団平が出没するような街だけど。。。
また大岡越前の裁きでは江戸表処払いで流されるような街だけど。
最近はこうした良いモノを堪能できる僕も凄い存在なのかなぁ。。。
とも思えてきてますけど。
みんな同体で、その良さを判り合えるんだからね!
自分のやってみたいことに妥協するの、
あまり面白くはなさそうですね。
まあ、味を追求するのか?
事業規模を追求するのか?
求めるものによって人それぞれ「やってみたいこと」は違ってくるのでしょうけど。