いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
店主です。
本日は、朝から商品の発送でバタバタしておりました。
さきほど宅配業者が集荷にきてくれまして、一気に部屋が広くなりました。
今日もブログはアクセサリーに関係ない話題になりそうです。
何気に朝から『神々の山嶺』が頭の中でグルグルしておりまして。
そうそう、今年の3月に大々的に全国公開された大作映画でもありまして、
小説は大ベストセラーになった名作のことです。
映画は大コケしたようですが。。。
僕も封切から翌々日の朝イチの上映を観てきたのですが、久々に上映前からテンションあがりまくりでした。
他の観客の中にはむさ苦しいばかりのギンギンの山男もおりまして、
心臓はドキドキしていました。
ここまで書いてナンですけれど、映画の内容について感想は書きません。。。のです。
上映が終わった瞬間、たまたま隣の席に座っていた山屋さん風の男性と顔を合わせてしまい、
「こりゃ、ひどすぎるわ」
と言われ、僕も深くうなづいてしまいました。
感想はこれでお終い。
もう回想さえしたくない出来でした。
原作は夢枕獏氏、僕は2000年代になったばかりの頃、文庫版になった時に読みました。
なのでだいぶ時間が経過しています。
ちょうどその当時、エベレストで遭難したマロリーの死体が発見され、日本でも新聞にショッキングな死体のカラー写真が掲載されて、世界中大騒ぎになりました。
そんな風潮もあり小説『神々の山嶺』は大ベストセラーになっていったのを覚えています。
その間にコミックにもなっていたようですが、知りませんでした。
たしか上巻・下巻に別れていたと記憶します。
3,4人に又貸しして、その後は行方がわからないままですが。
カンタンに言えば、コテコテの山岳小説で。
波動的にはめちゃくちゃヘビーな内容で。
でも、僕も3年に1度出逢えるか出逢えないか・・・くらいの感動を覚えていました。
物語の前提として、、、
エヴェレスト初登頂を果たしたのは正式な記録としては
ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリー(随行者略)とされているんですが、それ以前にイギリスの登山家ジョージ・マロリーが初登頂を果たしているのではないか?
といった登山界最大のミステリーがありまして。
このジョージ・マロリーは遭難してしまい、途中で死亡してしまったので、登頂前に死亡したのか?登頂を果たしてから下山途中で死亡してしまったのか、いまだに論争が続いているくらい有名な謎でありまして。
でも、下山途中に遭難したのでは?という説の方が若干強いようです。
で、この論争もマロリーが携帯していたカメラの中のフィルムを検証すれば、論争にピリオドが打てるのですが。
だって、頂上で写真を写すためにカメラを持っていった訳ですから。
このカメラが今でも発見されていないために、賛否両論が続いてるんですね。
物語は、このカメラ(ヴェストポケット・オートグラフィック・コダック・スペシャル)を
準主人公深町がエヴェレストの麓の街カトマンズの古物店で見つけたところから始まります。
このカメラを巡って主人公の羽生丈二(はぶ じょうじ)と出会います
。
羽生丈二は日本山岳会きっての鼻つまみ者だけど、不器用ながら(決してスマートではない)屈指の天才クライマー。
ある遭難事故をきっかけに単独登山に路線変更していきます。
で、羽生丈二は一世一代の大勝負を賭けて
エベレスト、冬季、南西壁 無酸素 単独登頂
に挑戦することとなる。
山に興味がない方にはピンとこないかも知れませんが、あり得ないくらいの条件をつけての無謀すぎる挑戦でして。
この挑戦の直前に
マロリーは「そこに山があるから(本当は誤訳らしい)」という有名な言葉に対して、
羽生丈二は深町に、「俺がここにいるからだ。俺がいるから、山に登る」という台詞があります。
「俺がここにいるからだ。俺がいるから、山に登る」
という、この物語のピークな台詞。
これをスピリチュアル的に解釈すると(ストーリーや作者の思惑から離れていまうかも)、やけに意味深に感じられました。
初めてこの小説を読んだ頃は
「どこまでもわがままなヤツ!でも共感するねぇ」
くらいにしか感じませんでした。二十代の後半だったかな。
羽生の場合、主体は飽くまでも「俺」で、「山」は客体。
というか山は脇役、主人公は私であるところの「俺」で。
マロリーは逆で主体が「山」で客体が「自分」となるように感じられました。
なんか今回、久々にこの台詞を思い出してみると、こんな解釈という感想が出てきまして。
ワンネスというか、悟りの視点からしてみれば、羽生丈二の台詞は至極当然のことに感じられ、この言葉のどこにも尊大さを感じられなくなっていました。
羽生がエベレスト冬季南西壁無酸素単独登頂に成功するかどうかよりも、今の僕には「羽生は覚醒していたのか?」という興味が沸いてきて仕方ないです。
スピリチュアル的な視点で、もう一度だけこの不朽の名作『神々の山嶺』を読み返してみたいと想う今日の朝です。
「俺がここにいるからだ。俺がいるから、羽生丈二を読み返す」
と独り言を言いながら、本日はこれで閉店。
本屋さんで下巻を買って、サウナのベッドでもう1度読んでみたい~。