退院の通知を頂き介護プランの準備を始めていた母は、3月下旬の或る日、
あと3日というところで容態が悪くなった。転院を繰り返し姉を呼ぶ。現在は一進一退というところ。今はまだ病院の敷地内にある桜並木さえ見せに連れてはあげられない、なんて残念なことでしょう!

「リハビリを頑張って、あそこまでやっと行けたのに!」
当の本人もさぞや悔しかろう。私の心の時計も3月のままパッタリと。置き去りになってしまいました。

今日の午前中はいくぶん体調が佳かったらしい。
「私は傷だらけの女」だの
「あの時残った陽子は携帯ばかり見ていた」等々。久しぶりに母から憎まれ口がぽんぽんと出て。
嫌な気持ちになったりもしたが、それは元気な証拠でもあると思い直しほっとする。


冷蔵庫に放置していたふきのとう。
難しいと決めてかかっていた蕗味噌を、父に習い母のために初めて作った。あれっ、美味しいかも…!

出来あがりを病院に持っていき、お粥にのせスプーンで口に運ぶと「苦いね」のひと言。はぁ(苦笑)

でも、ん?季節が戻った…?
蕗味噌の苦味と母のひと言は後れ馳せながら、私に春の報せとなったようです(笑)
母の花見は、次のツツジが目標となりました。



2018年12月31日(月)
今年もありがとうございました。

昨日は旦那さんとペットの犬を旦那さんの実家に送り、今はひとり帰り路特急電車の中。
周りの人はきっといろいろな目的で
休日らしく仕事ではない家族連れの人たちを乗せ
電車は粛々と静かに進んでゆく。

群馬のおかあさんに近況を話すと
今より退院してからが大変だよねと言われた。確かに…。今が特殊な時期とつい思いこんでいたけれど
俯瞰が抜けていることに気づく。

母の介護というボートに乗ったけど
まるで犬が寝場所を見つける習性そのまま
やみくもに隅をガサゴソ掘るばかり。

年末というのに年賀状や大掃除
おせち料理の準備などまるで頭から排除
でもそれは言い訳なだけだな。

群馬の空気はツンとして清々しく
今日も真っ青な冬空。
渡良瀬川を渡り車窓には
多くの雪を乗せた富士山が見えた。

母の人生に追われるのではなく
寄り添いながらも私を生きていく。
大晦日ではあるけれど
今からの目標にしてみようかな。

2018年もあと数時間で役目を終えようとしている。
ココロを洗って、温かい世界を信じよう。
帰ったら母に小さな鏡もちを
忘れずに持って行こう。



少し良くなっていた母が12月20日に再度転倒し、右の股関節辺りを痛めた。

前回のように自然治癒のみを期待し、治療方法も解らず母を寝かせていたが、2日経っても痛みで身体も上げられない。専門知識のない家族3人はどうにも動かすことさえもできず、遠慮がちに消防署へ相談に行くと、救急車がサイレンを鳴らし来てくれた。

受入先を見つけて頂き救急車に乗る。緊急の状態ではなかったけれど、結果的には良い選択だったみたい。レントゲンとCTを撮り恥骨と背骨に骨折が見られそのまま入院となった。

前日奇跡のようなタイミングで帰ってきた姉には休む暇さえ取らせず申し訳なかったけど、その後の母は発熱などあったものの、血色も良く安心して過ごしている。

救急外来の先生や、病棟の看護士さんの頼もしさは本当にありがたい。今後のことなど不安はあるけれど、現在の道のりには感謝しかない。

思えば決断するまで、母にはたくさん我慢をさせてしまった。ひとへのやさしさ、そして自分への愛さえ足りていないな。

入院後の母は家族が少し遅めに到着しただけで憎まれ口をきく。
手帳にはひとりで淋しいなどと書いてあった。元気なうちにたくさん会話をしなければ。他愛のないことも。

家の事、何だかすっかりバトンを受け取ってしまっていた。
やらねばならぬから、クルマの高速回転のように気づけばパキパキと。ナンだ、動けるものだなと思ったり。

母の丸まった背中は今もなお私のお手本であり続ける。
それは料理や家事のことでなく。
こうして倒れても、みんなに温かく接している姿。
そしてみんなから愛をうけとっている姿と。