迷惑もかけた
心配もかけた
怒鳴られもした
喜んでくれた日もあった
一方で三男として生まれ
反発したり揚げ足とったりも。
まるで前ブログの文句ばかり?
な子供。
家族が被災し、心配される側から
する側になったのを実感した。
心配ってこう言う物なんだと
良くわかりました。
もどかしい
イライラする
やきもきする?
部屋の中を行ったり来たり
する気分。
でも一向に事は動かない。
待つばかり。
こんなだったら行っちまえ!
と勢いで羽田に向かったのです。
しかし機内、タクシーの中と
これで良かったのか?
やはり行くべきではない?
母はどんなになってるんだろう?
何しに来たんだ!と怒鳴る?
そんな迷いながらも仙台に
着いてしまった。
そこでまた愕然とした。
当たり前に歩いている人は被災者で
私は見舞人。
いやいや、同郷だし!
って叫んだところその事実は
変えざるべき事実。
そして昨夜の兄からの
引き返せ発言。
何しに来たんだろう?
偽善者っぷりを見せつけに?
母が周りの方から幸せ者だね~と
言われるのを見たいから?
はたまたただのブログネタ?
想い悩みながらも朝が来て
前夜の疲れからまだ寝たいと言う
衝動を押し殺すように身体は目覚め、行く気満々。
ジレンマに反してどんどん身体は
家族の近くに進んでったんです。
車を降り、ここにいるであろう建物を
見た瞬間に走っている私がいました。
まるで小学生が家族の待つ家に
笑顔で帰るそれと同じだったかと。
ドアを開けたくさんの中から
すぐ父は見えた。
そして母も。兄も兄嫁も。
まったく躊躇はなかった。
なんて言ったか忘れたけど
床に座っていた母の驚いた顔が
印象的だった。
すぐさま母の手を取り肩を抱いた。
母は涙流し、ぐっと手を握り返して
お辞儀をしながらわざわざありがとうと礼を言ったんです。
それをいつもの笑顔で
来てくれたか!徹!
って微笑んでる父。
兄嫁や親戚も皆泣いていた。
そこでやっと私はここにやって来た役割がわかったんです。
泣かせに来たんじゃない
ただただ会いたかった。
顔が見たかった。
肌の温度を感じたかった。
そして謝りに来たと。
心配ってこう言う物なんだねって。
羽田からの経緯を話。
東京ではこんなふぅに報道されてる。
とか、父の矢継ぎ早な質問に
卒無く答えている横で調達して
持って行った品定めを始める母。
そこからは相変わらずの母でしたね!
こんなのその辺でも売ってるわよ!
化粧水は?
リップクリームない?
おいおい、僕は富山の薬売り?って
言ったら父まで笑ってた。
あんなに羽田から想い悩みながら
来たのにまるで一緒に紅白でも
見てるかのように楽しかった。
笑過ぎかな?って聞いたら
父までがこんな時は笑ってたほうが
楽しいんだよ、ほら見てみろ!
周りが羨ましがってるだろう?
って…この台詞、どこかで聞いた事がある…… あ!俺だ!笑
良く子供に言うこの言葉って
父譲りだったらしい事も判明し
また大笑い^^;
近所の方も
とおるちゃん!
とおるちゃん!って寄り集まって
まるでお酒のない宴会に。
あ~あそこにいちぢくの木があったね!
お宅のお兄さんの葬式の時の
あの坊主、どこの寺の?
今だから言うけどあの坊主袈裟の色見てみんな笑い堪えるの大変だったのよ! などなど…
名残惜しかったが明日の事もあるので
おいとましてきた。
帰りには父が正門まで送ってくれた。
80になる元防衛役人がいつまでも
手を振っていた。
家族ってなんなんだろうなぁ?
心配かけた分かけられるのかな?
それが嫌な訳じゃない。
つまりはどっこいどっこいなのでは?
支えたり支えてあげたり。
僕は支えになってるのかな?
兄達に頼りっきりで支えてるとは言えない。もっともっと今日のような日が
増えるといいな。
なんだか今日の母は可愛かった。
少女のようだった。
本当に行って良かったです。
フェースブックで細かなアドバイス頂戴した藤森さん!
いっつもアホで馬鹿なコメつけてくれる美容学校の同級生、ゆりとかよ。
また、他のたくさんの皆さまの
励ましやお言葉に何度も助けられました。ありがとうございました!
ご批判はあると思うけどほんと~に
来て良かった。
親を見て親の役割を教わった日でした。