以前、こんなことがあった。

 

仕事で同僚と外回りをしていた時のこと。

 

公園で、ひとりで一生懸命に、歩行のリハビリを

していた人がいた。

 

その様子から、何らかの病気か事故かで、半身

麻痺になったんだろうな…と、すぐにわかった。

 

その光景を見た同僚が、

「可哀想に…」と、言った。

 

それを聞いた私は、

「なんで?」と思い、ものすごく不快になった。

 

なんて他人行儀で、なんて冷たい言葉なんだろう…と。

 

もちろん、同僚は素直に“可哀想だな…”という

同情心や不憫を感じての気持ちで言ったんだと思う。

 

でも、その言葉の裏には、その言葉を発した人と

発された人との間に、ハッキリと一線を画すよう

な距離があり、とんでもなく上から目線の言葉に聞こえた。

 

人を哀れむ言葉。

 

たまに、嫌味で故意的に、

「可哀想な人だよね~」

と、人様を上から目線で言う人がいるけれど、

 

嫌味じゃなくても、使う時は十分に気をつけな

きゃいけない言葉だな…と思った。

 

 

この言葉に敏感になったのは、母の病気が

あったからかもしれない。

 

私の母は、脳梗塞を患った後に、ALSという

難病になった。

 

脳梗塞の後遺症として、右半身に麻痺が残った。

どこまで快復できるのか、わからない状態。

 

でも、母は一生懸命リハビリをして、杖をついて

歩けるようになり、

 

慣れない左手で包丁を持って、料理もできるようになった。

 

そして、車を少し改造して、車の運転もできるようになった。

 

それはそれは、並々ならぬ努力の末に得たこと…だった。

 

だから、私はその公園でリハビリしている人を

見た時に、ただただ

 

「すごいね!歩けるまで快復して良かったね。

そこまで、よく頑張ったね…。」

 

そう思った。

 

もし、母が他人が同情心で言った、

「可哀想に…」という言葉を聞いたら、

なんと思っただろうか…。

 

それを想うと、とても切なくなった。

 

それ以来、私は安易に人様に向かって

“可哀想”という言葉は使わない。

 

どんな状況、どんな状態であっても

“可哀想…”ではなく、

“辛いね…”と言って、寄り添いたい。

 

そして自分にできることを、精いっぱいしたい。

 

そう思っている。

 

 

かつて私は病気の母を、何気なく発した言葉で

傷つけたことがある。

 

母はその言葉を聞いて、泣きながら自分の

気持ちを訴えてきた。

 

それを聞いた私は、とても胸が苦しくなり、一緒に泣いた。

 

そして、たった一言で、母を深く傷つけてしまった

ことを、今でも後悔している。

 

想像力が足りなかったな…と。

 

言葉って難しい。

 

 

今日はそんなことを想い出して、

1日がスタートした。

 

なぜだろう?

 

もしかして…

母の月命日だったからかなぁ…。