引き続き、妻です(*^^*)
ここからは私の話ですので、嫌な方は飛ばして下さいね♪
この昔からあるネスカフェ。
子供時代はネスカフェにクリープ入れて
ナショナルのポット(花柄の)のお湯をジャーッと入れて飲みました。
コーヒーと言えば、ネスカフェでした。
今でも、時々飲みたくなって買います。
冷たい牛乳にもサッと溶けて、あっという間にアイスオーレ♪(今はアイスラテって言うそうです!)
実は、20代の頃、このネスカフェのロゴデザインをしたタイポグラフィデザイナーのスタジオG2の奥泉元晟先生のところでアルバイトをしていたことがあります(*^^*)
奥泉元晟先生は、日本のタイポグラフィ(文字のデザイン)界の重鎮で、数々の書体を作り、賞も取っていらっしゃり、文字をモチーフにした絵本も色々と出版されているという、とても有名な先生です。
文京区音羽の講談社の目の前にスタジオG2があり、講談社の仕事も色々と引き受けていらしたので、私は原稿を持って、何度も行ったり来たりしました。
どうして、そんな偉い先生の所でアルバイトが出来たのか?と言いますと
本当に、不思議なご縁としか言いようがないのですが、当時『フロムA』というアルバイト雑誌がありまして、会社を辞めたばかりの私は何となくひまつぶしに(すみません……)パラパラとページをめくっておりました。
すると『マスコミ特集』というページが。
マスコミ?なんか想像出来ないけれど、どんなんだろう?と思い、見て行くと
『初心者可 原稿を届ける仕事です』とあります。アルバイト料も13時~18時で月額10万円。何だかいい感じです!!!
貯金も少しあったので、思い切って面接に行くことにしました。
すると、面接の時に
『君は田舎はどこなのかな?』
『はい。群馬のすごく田舎の島村という所です』
『あれ?そうなの?僕はその辺りに疎開していたんだよ。田舎で良いところだね』
『ありがとうございます!』
『デザインに興味あるの?』
『よく解りませんが、頑張ります!』
この時、私の前に面接を受けていた女性は、地味なスーツを着ていたのですが
私は『デザイン事務所だから』という事を考えて、目立つようにデザインが派手派手な服装で(当時はこういう服が主流でした!)面接に行き(((^^;)
後で聞くと
『君が何だか元気で面白そうな子だったので、採用してみた』ということでした!!!
※ちなみに、私の前に勤めていた助手の女性は東京外語大卒の才媛でした(・・;)彼女が渡米するために私が引き継ぎましたが……。
(どうなったかは、想像にお任せ致します……。)
奥泉元晟先生は、当時は50代後半、渋い寡黙な雰囲気の方で、俳優の天地茂さんに似ていて、いつも(デザインしている時も)ピシッとスリーピースのスーツを着ていて
ブラックコーヒーと煙草を愛用(仕事中もモクモクと)していました。
何故か、コーヒーはインスタント。
デザインが一段落すると
『コーヒー、濃いの』
ある日、そんなにコーヒーが好きならと
思い立って
『先生、インスタントじゃなくてコーヒーメーカー買いましょうか?安いですよ』と
申し上げると
『田島君、(私は旧姓も田島です)このネスカフェの文字はね、実は僕がデザインしたんだよ』と。
ええ~~!!!そうなんですか!?
子供の頃からずーっと馴染み深いこのデザイン。
パソコンでコピペしたのではない、一文字一文字がちゃんと手描きだとというのがわかる、温かい文字のライン。
ネッスルは、ずーっとこのデザインを変えていません。何故なら、このデザインが私達の中に自然にスッと優しく入って来るからだと思います。
『でもロイヤリティを取らなかったから、これはネッスルのもの』と。奥泉先生は笑っていました。
そうなんですか……!?
と、ただただ、ビックリ。
こういう人がいるんだなぁ~~と思いました。

そして、このスタジオG2で2年程アルバイトをしていると
『田島君、もうアルバイトも飽きたんじゃないの?今、ちょうど日本タイポグラフィ協会が事務員を募集しているよ。ちゃんと就職したら?』と今度はそちらを紹介して下さいましたm(__)m
そして、そちらに勤務させて頂いて(5年間)
さらに大きな学びがありましたm(__)m
そう考えると、人生というものは
本当に、すべてがご縁で繋がっているのですよね。
奥泉先生、お元気でいらっしゃいますか?
当時は本当にありがとうございました!!!
読んで頂きましてでありがとうございます(*^^*)