こんばんは




妻です♪私が本当に子供の頃の
昔話をしても良いですか?
(35年くらい前の話です)
昭和40年代~50年代の島村は
隣近所がほとんど知り合いで
鍵などかけなくても 自由に隣近所の家に
上がり込んで、TVを観たり
たわいのないお喋りをしたり♪
時には、近所のおばちゃんの愚痴を聞いてあげて『そうですかぁ』と
TVをダラダラ観ながら(*^^*)
なんとな~~く 聞いてるような
聞いてないような感じで
それで つねにテーブルかちゃぶ台の真ん中にお茶菓子があって
歌舞伎揚げとか、みすず飴とか、栗饅頭とかの(これが通じるあなたは昭和の人です♪)
茶の間の駄菓子をつまんだり
(※この茶の間のテーブルに、駄菓子がいつもお皿に置いてあって、誰でも自由に摘まんでいいというルールは、東京の下町で生まれ育った作家の『よしもとばなな』さんも、よくエッセイ等に書いていらっしゃいます♪東京の下町も同じなのですね!)
私の実家は自営業なので、子供時代から両親が忙しくて
子供よりも両親は仕事が中心の生活でした。
でも、私が寂しくなかったのは
近所の家に 自由に行き来出来る環境があったからです。
昭和40年代~50年代の島村は、機織りが盛んで、近所の家ではお婆さんが
キーパタン キーパタンと器用に
機織り機で伊勢崎銘仙を織っていました。
私は、学校(伊勢崎市立境島小学校です♪)が終わると
真っ直ぐに家には帰らずに
『お菓子をもらえる、おせいさん』の機織り小屋(おせいさんという近所のお婆さんが、いつも機織りをしていて、見に行くと必ずお菓子をもらえるので……)に行って
キーパタン キーパタンの機織りのリズムをを聴きながら、
『あがっていきない』と、いつも子供に、おもてなししてくれた
おせいさんのくれる
お菓子をモグモグ。お茶を飲んで。
それから、近所の友達と遊んだり、算盤塾(当時は算盤は必須の習い事でした♪)に行ったり。
夕方から夜になる頃
両親の仕事も終わるので、帰宅。
私は、本当に 島村で村の大人に守られて、豊かな子供時代を過ごさせていただきました。
当時の子供は宝物という、島村の村民の思想が今の私の心の強さ(東京時代からよく、メンタルが強いねと言われます(゜ロ゜) 自分ではわからないのですが………。きっと、子供時代に島村で育てて頂いたお陰だと思いますm(__)m)
本当に本当に ありがとうございます!

桑のように 野趣溢れるごとく
島村の皆さんに強く 育てて頂いた 島村娘(今はオバサン♪ですが)です(*^^*)
本当に本当に 感謝しています。

Android携帯からの投稿