こんばんは




続きです♪田島弥平氏が 本当に望んでいたのは?
何だったのでしょうか?
養蚕新論を 読み進めて行くと
田島弥平さんが 当時、考えに考え抜いて
切望していた事が だんだんと
心の中に 入って来ます。
きっと 当時は 考え方が斬新過ぎて
先を読み過ぎていて
なかなか 理解されず 悔しい思いも
されたのではないでしょうか。
弥平さんは 何を望んで 研究を進めたのでしょうか?
『自分(弥平さん)が有名になること?』
いいえ。
『自分(弥平さん)がお金持ちになること?』
いいえ。
『大洪水に襲われた、島村を蚕で復興すること??』
はい。
『島村に安定した絹産業を興して、村民の生活を救うこと??』
はい。
『絹産業を通して、海外と文化交流をすること??』
はい。人間は学ぶ事や、心をふるわす芸術にふれると、モチベーションがあがって
相乗効果で、さらによきものを生み出します♪
『海外へ日本の技術を渡して、海外からも技術を受け取り、win winで経済を回すこと??』
はい。
まず、差し出せば 受け取れます♪
開けば 入って来ます!
そしてそして、何よりも伝えたかったのは
『素晴らしい技術 素晴らしい経営哲学 素晴らしい文化 芸術 教育 人と人との信頼関係は 時代が変わっても ずっとずっと受け継がれる』ということ
ではないでしょうか?
田島弥平さんは 『養蚕新論』という著書を通してご自身の 普遍の経営哲学を記し
自ら 蚕種の輸出で海外へ渡航することで
貿易への道筋を作りました。
そして それらの考え方の哲学を 日本に根付かせたかったのだと思いますp(^-^)q
ずっと ずっと 養蚕を通して自分の経営哲学を 島村から発信して 世界へと繋げて
行きたかったのだと思います。

※資料 ぐんま島村蚕種の会編纂発行
『養蚕新論 田島弥平』(明治農書全集第9巻抜粋)より
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