このブログを始めてもう8年くらい?になりますが、

私自身のこと、ちゃんと書いたことなかったなあと思ったので、

 

改めて、自己紹介を兼ねて、生い立ちから、今まで歩んできた道のりを書いてみたいと思います。

 

 

  誕生:長女として生まれる

仕事が忙しく、ほとんど家にいない父親と、

同じく仕事をしていて、独立心旺盛な母親の間に、

長女として生まれた私。

 

小さい頃の記憶はほとんどないけれど、

両親がたくさんビデオや写真を残してくれていて、

 

そこから垣間見るに、

小さい頃からあまりぐずらずに、お利口さんと言われて育った子どもでした。

 

いわゆる聞き分けのいい子と言われ、

あんまり手のかかる子じゃなかったと、両親からも大きくなってから聞かされました。

 

高い高いをしても、キャッキャと笑うよりは、

どちらかというと、高い高いをしてくれている大人をじーっと見つめているような

そんな子だったそう笑

 

でも、両親にとっては初めての子で、

父親は仕事が忙しかったために、

 

母親は、右も左も分からない中で、

試行錯誤しながら、一生懸命育ててくれたのだと思います。

 

母子手帳には「かわいい」と書いてくれていた母親。

 

生まれる前から、手作りのおくるみや布おむつを用意してくれていて、

小学生の頃までずっと、服は母親の手作りで育ちました。

 

 

父親は当直勤務もある職場だったので、家に帰ってこない日もあり、

あとになって聞いたのですが、

 

この頃の私は、

そんな父に対して、父親という認識が薄かったようで、

 

「今度いつ来るの?」と

出かけていく父親に聞いていたそうです。

 

 

  年子の妹の誕生

そんな一人っ子の時間は長くは続かず、

一年半後には、年子の妹が誕生します。

 

母が妹を産むために入院している間、母の実家に預けられた私。

 

今はもう亡き母方の祖父母は、

その時も、ぐずったりせずにお利口にしていた私のことを、

あとになってよく聞かせてくれました。

 

泣いたり、わがまま言ったりせずに、

お利口にして待っていたのよ、って。

 

 

父も母も、そして祖父母も、口を揃えてお利口だったというこの頃の私。

 

それを昔の私は、ちょっとした誇りに思っていました。

ああ、私ってお利口さんで賢かったんだなあって。

 

だけどそれは、今思い返せば、

同時に、自分が我慢をして、周りの人たちに迷惑をかけないようにとしていた

私の癖のようなものの始まりだったような気もします。

 

 

  長女としての役割

妹が生まれてからは、私は長女、いわゆるお姉ちゃんとして扱われることが

多くなりました。

 

お姉ちゃんだから、妹の面倒を見てね。

お姉ちゃんだから、しっかりしてね。

お姉ちゃんだから、我慢してね。

 

そんなふうに何度も言われたわけじゃなかったけれど、

私はいつの間にか、妹がいる環境の中で、

しっかりしなきゃ、ちゃんとしなきゃ、という

長女気質を身につけていくのでした。

 

これは長女あるあるなのかもしれませんね。

 

小さな頃、まだ幼稚園にあがるかあがらないかの頃、

近所のスーパーに妹とお遣いに行ったことを

 

ぼんやりと覚えています。

 

お財布を渡されて、妹の手を引いて、

私はスーパーで母に言われた買い物をした風景

 

スーパーのおばさんに

「何を買いに来たの?」と聞かれた私は、

妹の手を取りながら、冷静に受け答えしていました。

 

そして、この頃は、父も母も働いていたので、日中は妹と一緒に

近所のおうちに預けられていました。

 

そこのおばちゃんは本当に良くしてくれていて、

毎日内職をしながら、私たち二人の面倒を見てくれました。

 

このおばちゃんも、

母には、私のことを本当にお利口さんだと言っていたようで、

 

この「お利口さん」という言葉を、私は何度聞いただろうというくらい、

私の幼少期を語るときに、いろんな人の口から聞かされたのでした。

 

 

  幼稚園時代

 

そんな私も、4歳になると、幼稚園に入ります。

幼稚園では、近所の同じ年頃の子どもたちと知り合って、

毎日のように遊んだり、お互いのお家でお泊まり会をしたりと、

楽しんでいた記憶があります。

 

この頃に、初恋も経験。

としやくんという同い年の子でした。

 

何が好きだったのかなんて、子どもの頃の恋だから、

そんなの全くわからないけれど笑、

 

とにかく、その子のことが、初めて好きになったのでした。

 

幼稚園は好きだったかというと、

私はあまり好きじゃなくて、

 

毎日幼稚園に行くのを渋っていたというか、

行きたくないなあと思っていたことを、ぼんやりと覚えています。

 

別に幼稚園でいじめられていたわけでもないし、

楽しくなかったわけでもないのだと思うのだけれど

 

これは持って生まれた性格なのかな・・・

おうちにいる方が安心だし、私にとっては居心地が良かったのだと思います。

 

小学生時代のところでも書こうと思いますが、

多分私は、とても繊細な感性の持ち主だったのだと思います。

 

だから、他の子たちや他の大人たちがたくさんいる環境は

私にとってはとても刺激の多い、ある種混乱するような場だったのかもしれないなあと

 

今振り返ると思います。

 

小さなことが気になって、それがすぐに体調に現れるとか、

そういう感じ。

 

人と比べるのもあまり意味がないのかもしれませんが、

人一倍、繊細な感性を持って生まれてきたことは、

私のその後の人生にいい意味でも悪い意味でも、たくさんの影響を及ぼしていくことになります。

 

その辺りはまた追々、書いていきたいと思います。

 

そのほかに幼稚園で覚えていることは、

母親が作ってくれていたお弁当が美味しかったこと

 

この頃からセクシャリティ、性の目覚めがあったこと

(これは、同時に、そんなことに目覚めてはいけないというような罪悪感を生んだような気もしています)

 

あまり喜怒哀楽を表すタイプじゃなかったこと

(自分の思いを表現することは、もうこの頃から苦手だったのかもしれません)

 

お姉さんねとかおとなしいねとか、割と子供じみたところが少なかったこと

(人に迷惑をかけないように、いい子と言われるように振る舞う癖は、この頃から始まったのかな)

 

かなと思います。

 

同時に、母と父はこの頃まだ仕事で忙しかったりした時期なので、

あまり両親に甘えたという記憶はありません。

 

甘えるとか、しっかりするとか、そういう概念もまだほとんどない時期だったと思いますが、

どちらかというと冷静に周りの様子を見ていたりする子供だったような

そんな感覚が、この頃の私を思い出すと蘇ってきます。

 

対して妹は、小さい頃から自由奔放で喜怒哀楽がわかりやすい子どもでした。

ひょうきんで、表情がくるくる変わるのでわかりやすく、

 

いわゆる子どもらしい子どもだったのかな。

 

この辺りも、お姉ちゃんと妹っていうあるあるな感じなのかもですね。

 

妹は幼稚園大好き、行けないと逆に駄々をこねるという性格。

私はその逆。

 

子どもらしいことをあまりしてこなかったような子というのが、

もうこの幼稚園時代から始まっていたのかなと思います。

 

 

  小学生低学年での転校

小学校にあがると、また新しいお友達も増えて、

男女関係なく楽しくおしゃべりしていたことを、ぼんやりとですが思い出します。

 

だけど、この当時、一つだけ今でも記憶に残っている男子との思い出があります。

 

それは、同じクラスの男子と話していた時のこと。

私の席の後ろにいた彼と話すため、

私は自分の椅子の背もたれに腰かけて、

彼の机に足をかけるようにしていました。

 

その時、突然、彼にお腹を殴られるか、蹴られるかしたのです。

一瞬、きっと私は何が起こったのか理解できなかったのだと思います。

 

この記憶は、その後長いこと封印されていて、

つい数年前まですっかり忘れていました。

 

でも、数年前に、たまたま友人と話していた時にこの時の光景がフラッシュバックして、

それ以来、私は「調子に乗っていたら痛い目にあう」ということを

 

教訓のように持ち歩くことになったんだなと気づいたのです。

 

もちろん、当時はそんなことは思ってなかったと思います。

でも、あまりにもショックで、きっと記憶から抹消してしまったように思います。

 

そして同時に、これが原因でかな、多分

男性が怖い、とか、男の人の力って怖い、とか

そんな思いを抱いた原体験になったような気もしています。

 

こういう小さい頃の無邪気で無垢な体験って、そのまま

記憶の深いところに刻まれてしまうような気がします。

 

きっと私は、この経験もあって、

ますます自分を表に出さないような、そんなこどもになっていったような気がしています。

 

「気がする」と何度も書いているように、

これは、私が今振り返って思うこと。

だから、あえてそんなストーリーにしなくてもいいのかもしれません。

 

ただ、私には、今はそんなふうに感じられるなという感覚がするので、

今この瞬間、ここでは、そういうストーリーとして書き記しておきます。

 

さて、そして小学生低学年で、もう一つ経験したことは

転校でした。

 

父親の仕事の都合で、

慣れ親しんだ環境やお友達から離れて、

 

全く新しい環境へと移ることになった私。

 

そこでさらに私は、

「自分」というものを封印していきます。

 

周囲からは、少し変わった子、大人びた子、

と見られることの多かった私は、

 

いじめには会うことはなかったし、

友達もそれなりにいたけれど、

 

この少し変わったと言われる私でも周囲に馴染めるように、

ありのままの私を封印して、周りに合わせること、

周りの状況をよく観察して、そこから自分がはみ出ないように

 

という生き方を、より強固にしていくことになります。

 

それほどに、私にとって

周りと馴染めないこと、変わっていると言われることは、

脅威だったり悲しいことだったり、嫌なことだったのでしょう。

 

できるだけ、他の子と違わないように、

持ち物も同じにして、学校から指定されたもの以外を母が持たせようとすると、嫌だと反発したりしていました。

 

周囲を観察して生きる術を身につけていった私にとって、

気づけば、自分の好きや、幸せや、喜びや、嫌いといった感情は

全くわからない子どもになっていました。

 

そのことがさらに、大人っぽい、冷静、変わったこども、

と言われることに拍車をかけていったように思います。

 

でも、学業は優秀。毎回テストでは100点を取るのが当たり前でした。

逆に、なんでみんなは100点取れないの?と不思議に思うほど、

学校の勉強は、私にとっては息をするくらいにとても簡単なものに感じられていました。

 

さて、長くなったので、

これ以降のストーリーは、次回以降に書いてみたいと思います。