夢は夢


妄想は妄想



私の母へのアレルギーのような反応




お金いらない


仕事なんて



お洒落する暇ない



それ、全部、愚痴ではある。


でも、それは全部、事実。





統一教会で、合同結果式で農村に嫁に行った番組を見て、、、




母は、農家に嫁いだ。


その事実が、どれだけ大変かを思った。


小さいときから、母はパート、家事、農家もして働いていた。


嫌でもお姑お舅にも気を使かう。


なんなら、義理の姉が3人も。


あの時代、女性はみんな会社勤めする時代、


農家なんて、の風潮も最高潮だったかもしれない。


祖母は、体力もあり、縁の下の力持ち、

いや祖父以上に働いた。


貧困から裕福ぐらいに巻き返した。


それも祖母の意地とプライドがあったから。


それ以上に、子ども思う気持ちかもしれない。


それで、曽祖母に尽くして、市から嫁姑仲良し賞などまで貰うほど、尽くした祖母でした。



そこに嫁いだ田舎育ちの天真爛漫な母。


言葉も思ったことをいう、男女問わず人気のあるおてんば娘。


そこから、笑顔ない母に変わってしまいました。


長男の嫁

農家の嫁

子どもを大学に入れること

プライド高く優秀な家系?という幻想


苦労と努力で守ってきた家に二十歳で嫁いだ。



私の記憶では

祖父母に気を使い、茶の間でくつろいだところは見たこともなく、



いつも、勉強しなさいといい、

〜しなさいといい、


怒られないことばかり考えていたから、

可愛がるなんて二の次だったんだろう。


仕事帰り、みんなは、自由でも、


母は、気を使い農家の手伝いをしないとと、田んぼに入ったという。



それは、母のやっぱり苦しみだったんだ。


だから、ずっと祖母に反発していた。


それくらい、ストレスがあったんだと思う。


リラックスなんてなかったんだと思う。




わたしは、鬼のような母と思って過ごした。

ほんとに、鬼だったから。



私の心の支えはばあちゃんで、

ばあちゃんと母の悪口を話していた。


どれだけ育ち悪いか。

親戚兄弟の悪口を聞かされてた。


わたしは、ばあちゃんが優しいので、

そして、ばあちゃんも苦しんでいたので、

ばあちゃんの味方だった。



それほどばあちゃんも苦労した。

だから、余計に嫁姑うまくいかなかったんだと思う。


わたしの心の支えはばあちゃんで、

母には何も言えなかった。




それがまさか、ここまで続くとは。


母に言われた愚痴や暴言が、


実は大切な教えや、教育だとしても、

怒りしかない、笑顔のない母の言葉は

抑圧でしかなかった。





何回も結婚しようと、幸せになろうと思わないのは、


夫婦喧嘩の影響だと思っていた。


思いやりとは、

心の余裕のようにおもう。



息抜きすらできなくなったとき、


自分を見失うとき、


笑顔はなくなる。


怒りに襲われたとき、


心は悲しくて泣いている。



笑いや団欒が、どれほどの心の栄養、力になるか、


私は、それを求めていた。


思いやりって何?


家族がいたら、

楽しければ、

頑張れる、と。




しかし、


それだけでは、崩壊した。



痛みを知ること。


人の痛み。

心を知ること。



母の痛みから逃げて、自分は被害者だと叫んでいた。


長女だから尚更。ダイレクトに被害者でもあったが。


かわいいのに、可愛がれない、


優秀に育てなければならないというプレッシャーで

私は叱られた。


良かれと思ってのこと。



無我夢中だったと母は話す。


今でも、怒りに任せて働いている。


そもそも母は、とても働きもので、テキパキしてて、どこに行っても明るい働きもので慕われるのだ。

母は、小さな時、から、

変わってないのだ。


ただ、ただ、がむしゃらに、バカみたいに、

確かにバカなのだが、、


天真爛漫なのだ。



もっと賢ければ、とも思う。


でも、馬鹿正直なのだ。

馬鹿なのだ。



母は、愚痴りたかっただけなのだ。

それくらい来るしかった。


そして、大学なんでどーでもよくて、

ほんとに地に足のついた、やぎ座の人間なんだ。


子育てボランティアもして、

世のため人のために働く、素晴らしい母なんだ。




母の愚痴は、本心、心なんだ。


私への脅迫でもない。


〜しなさい

〜しなればならない

は、優しさなのだ。



そして、


お洒落なんてする暇ないよ!

おまは、フシダラだ。


とかも、


母の本音であり、

その途中の補足が抜けているだけで、

ちゃんと子どもの為の言葉だったのかもしれない。



だから、私は、ヒステリーの馬鹿な母の遺伝子があるから、結婚できない、と思っていたのは、


大好きな祖母についていたから。


宗教と同じだ。


盲信して、誰かが誰かを非難することは、

自分を非難することでもある。


祖母ももしかしたら、天国でごめんと思っているかもしれない。


母を嫌うということは、最高に辛いことだから。


かわいい孫が、自分の考えの影響で、50年も苦しむなら、、、



家族の良いところを教えることは、自己肯定感につながる。


また、悪いところも反省して、心を成長させること。


楽しいばかりでよい!ではない。


傷ついたとき、

そーでないときに、どれだけ寄り添えるか。


だから、その痛みを知ってるから、


笑顔になれるのかもしれない。


平和で、幸せが有難い奇跡だとおもうと。


また、人生が変わるのかもしれない。