わたしは多動性障害かと思っているが、
最近、出会う人々との共通点を見つけ、
自分について振り返っている。
人のせい、とは、
思い出すのは、朝はいつも母が不機嫌で、
笑顔で通学通勤することは、ほとんどなくて、
社会人になってからは、
浴びた罵声と、イライラを自分の中で消化するのに必死だった。
20〜30分の車と、
20〜30分の電車通勤で、
わたしは自分をリセットしてしたんだ。
家の自分から
外で働く自分への切り替えは、
そんなにうまくいってなかったと思う。
なぜなら心の土台がなかったから。
不良と言われる子どもたちの気持ちがわかるくらい、
心はイライラしていました。
そもそも、受け取ってしまったんだよな。
人のせいにして怒り散らす母のパターンを。
そして、全身で浴びて、
わたしはこの親のせいで!と
無意識でずっとイライラしていた。
家庭が活力になることはなく、
わたしはどこで自分の価値を見出していたかと思うと、
仕事や、彼、外がわの人たちに対してだった。
今も、何か起こると 、
誰でも自己嫌悪に陥るとは思う。
それを反省して、
また繰り返さないよう学習して、
前向きに生きていくんだろう。
その原因を外側に問い詰めても、、
自分は何も進歩しないんだ。
思えば、それを繰り返してきたな、と。
傷や、悩みの渦の連鎖の中にいる人を、
客観的に見てそう思う。
占いは、
自分は外側に求めるため、
人のせいにするために、
スピリチュアルという幻想を追いかけていたのかと思う。
占いジプシーな人たち、と、
占い師は違うよね!
たくさんの人に親しまれている占いと、
悩みを解決したい時の占い、
どちらも、
前に進むための占いなんだよね。
占いで、自分の期待通りの言葉を求めて、
それを諦めず、
繰り返している。
仕事をしていると、
周りには、スピ系と言われる人は、
ほとんどいなくて、
リアルなコミュニケーションと、
在り方がその人を決めている。
その生き方、考え方は、
人のせいにしない。
現実をまっすぐ見ている。
目の前の現実に、不平不満を垂れ流しにするだけでなく、
しっかりと客観性を持ち合わせている。
感情的すぎるというのは、
視野を狭くするととともに、
解決から遠くなる場合もある。
愛が不安か。
わたしにとっては、
これが、起死回生のパワーの源のように思う。