震災の時は、港町にすんでいました。
海の近くではありますが、大きな神社のある小高い山の上に住んでいました。
山ごと、地面は揺れました。
外に出て、一歳の息子と紅梅の木にしがみつきました。
このまま山ごと沈んでしまうのではないか。
港町にはサイレンがあり、近くで「10メートルの津波がきます!」と繰り返し放送されていました。
山が崩れて家ごと流されたらと思うと、家に入れませんでした。
雪が降ってきても、そのまま子どもと木にしがみついていました。
もし山が崩れても、この紅梅の木と息子は離さないようにしよう。
それが目印になるかもしれないから。
向かい家のお父さんが、うちの家族と一緒にいなさいと、家に入れてくれました。



その年の春に離婚し、
わたしは近くの他の海の街で働き始めました。
何か力になりたいと思っていました。
わたし一人が何もできないかもしれないけど、
近くで、社会と関わっていたいと思いました。
それまで専業主婦で鬱々としていました。
私の担当は、被災者補助金の申請窓口でした。
海の人たちは、元気でした。
生きようとしていました。
私は、逆に元気をもらえました。
それからしばらく、私は海の街の人たちと復興への道のりを共にすることができました。
いつもいつも、私が勇気つけられていました。
私は被災者ではないです。
私は被災者に助けられた人です。
今でも感謝しています。
私の震災の記憶は、いつも感謝で溢れています。