小さい頃の記憶。
私は、三人妹弟の長女で、
昔はおてんばで口が達者でどちらかと言えば賢い子だった。
小さい小学校だから、いろいろな代表に選ばれることもあった。
うちの両親は二人とも目立つ華のあるタイプで、教育ママとパパだった。
夏休みの研究なんかも、親が率先して考えて、私は段取りを踏むだけだった。
親の理想の上を歩いていた。
両親はいつも嫁姑問題で揉めていた。
いつかは、親戚問題、夫婦関係にも広がって、
私たち兄弟は、いつも親の機嫌を伺っていた。
私は母の笑顔を見たことがなかった。
母は、様々な偏見の目で見られていたため、私を大学に入れることで躍起になっていた。
祖母から嫌味を言われたくないために、意地になっていた。
だから、私にとって母はいつも鬼だった。
中学入学の時、新入生の親代表の挨拶は、母がしていたみたい。
親だけが立派になっていくのを、遠目で見ていた。
その頃から、私は体調を崩すようになった。
一年生では、2回も入院した。
私のことを誰も見ていてくれない。
ギリギリになって、いつも入院だった。
入院した時は、母は優しい。
私をいじめてるつもりなどなく、母も必死なんだ。
退院すると、私以外の兄弟はみんな仲良くしていた。
私が来て、輪に入ると乱れるらしい。
おまえなんか、いないくていい。
おかしくなる。
受験生でもあったし、私はいつも二階の部屋に押しやられた。
たぶん、何か空気読めないことを言ってしまうのかもしれない。
私には疑問しかなく、どうしたら両親が幸せなのかばかり考えていたはずなのに、
いつのまにか私は家族の除け者にされていたみたい。
お姉ちゃんに関わるとロクなことない。
たしかにそんなトコロもあったかもしれない。
私はずっと部屋の中にいた。
その時からか、持って生まれた性格なのか、
小さいころのマイワールドは楽しい世界でもあり、
その当時のマイワールドは逃避の世界でもあった。
高校生になり、
進路を決める頃になると、
わたしは、混乱した。
自分の気持ちがまったくわからなかったから。
何になりたいのか?
どこの大学に行きたいのか?
行きたくないのか?
母は正直なところ、全然わかってない人で、
父はとても合理的に考えて仕事もできる人だった。
私は母でも父でもなかったから、
ずっと親の理想のレールの上を歩いてきて、
自分の言葉で、これが夢です!と言えなかった。
夢のような誰かの夢しか、口から出てこない。
私の世界は、夢みたいな世界になっていたみたい。
そして、大学受験は全部落ちた。
言い忘れていたけど、
私は高校入学の時には決めていたの。
もう、勉強しないって。
それは、中学3年の時だったかな、
100点取って、母に見せたら、
台所でちょっとだけ振り返って褒めてくれたけど、
頑張ってね、だったかな、、
言われたとき、
まだ、頑張るだ。。。
と、思ったんだよね。
そして、合格したら、もう、親のために頑張るのは止めようと決めていた。
本当は、勉強嫌いじゃなかった。
好き!と思えたら取れた100点だった。
高校生になって、私が勉強してないことに、親は全然気づいてなかった。
相変わらず、親は私を見てなかった。
私はいつも、家では二階の部屋にいた。
そして、全部落ちた時!
父は怒ったよね。
ガッカリしたよね。
祖父もたぶん、恥知らずだと思ったよね。
となりの◯ちゃんでさえ短大入ったのに!って。
自分たちが地域で、結構リーダーみたいな存在だったから、
面目丸つぶれだったと思う。
さて、それから、私はどうしただろう。
就職の意味すら知らなかった私。
お金のために働くとか考えたこともなかった。
大学、だけが、よくわからないまま目標になってたから。
不思議だよね!
慌ててるのはもしかしたら親だったのかもしれない。
私は社会で生きてくことの意味すらわからないのだから。
とんだ箱入り娘。
そしてその後、私は、突然、街中に飛び出すんだけど、、、、
本当の私の夢を知ったのは、それから20年後の40才を過ぎた時だった。
マイストーリーは続く。

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