わたしは、小さい頃、

明るく活発な、どちらかというと優等生でした。

おてんばで、おっちょこちょいで、

おしゃべりで、空想好きな子どもでした。




家庭の中は、荒れていて、


嫁姑の争い、


そのための、夫婦喧嘩、


叔母さんたちとの関係など、


いつも大人の事情に巻き込まれていました。


親の見栄なのか、小さい時から、


大学、大学と言われてきました。


大学とかのまえに、

生きるとか、生活とか、

その意味さえわかりませんでした。



大学行ったからどうなる?

勉強したから何になる?

私には一切わかりませんでした。



自分が何をしたいか、

どの道に行きたいか、

それが、夢か現実か、

そもそも、何をしたいか、

わかりませんでした。


夫婦喧嘩は、


親子喧嘩にもなるし、


兄弟喧嘩にもなります。



家族、兄弟通しで、いがみ合いました。



ほんとは、親の幸せを願っていたのに、


いつのまにか、誰かが誰かを虐めていました。


家族みんなが団結すると、


私さえいなければ良いと言われました。


その頃は、壊れていたのかもしれません。





高校に入ったら、勉強しないと決めていました。

それでも、親は気づきませんでした。

後ろ姿で、勉強しなさいと言うだけです。

リビングにいると怒られました。

私は、自分の部屋へ行きました。



大学は、全部落ちました。


 特に父親は、起こりました。


あの子さえ短大に行ったのに。


何やってるんだ。


お金なんか、かけてもらってもこちらがこまります。


父親は、山の上の職業訓練学校などを、探しました。


就職という意味さえわからずに、


半月あまりで、働くことにしました。


バブルが崩壊して間もないころでしたが、


就職先は、ありました。


最初、仙台の裏がわの、建設会社の事務の仕事があり、


面接で、即就職が決まりました。

半月くらいで、職場近くにアパートまで借りてくれるとのこと。


事務ってなんだろう?


一般的な職場でしたが、私には暗く感じました。



雨の中、上司らしき人に、仙台駅で降ろしてもらいました。


煌びやかな世界。



私は、明るいところで働きたい!


そのとき、初めて、私の意思がでました。



帰って、その日のうちに、電話で断りました。


同じ頃、母は、新聞記事の中に、


当時CMでも知られていた、着物専門店の求人記事を見つけました。



その後1週間足らずだったと思います。


私は、4月から、仙台の中心地に通う、いわゆるOLに、なりました。





今思うと、勉強ばかりで、オシャレもしたことのない私が、突然華やかな場所で安心したのは、


月てんびん座の力だったと思います。


そして、私の月には、冥王星が重なっているのですが、

のちに、ホロスコープを知り、


なぜ、私が、いつも不安で、苦しい子ども時代だったかを、星は示していました。



だからといって、その不安と傷は消えるわけでもなく、


ホロスコープが、幸せでしかないなら、

なぜ、私はこの経験をしなければならなかったのだろう。


なぜ、この親のもとに生まれてきたんだろう。


私は何をしたかったんだろう。



と、さらに、旅は続きました。





いつかに、続くかも。。