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はぴちょろ 関東在住

興味持ちすぎて時間がたくさんほしいアラフィフでございます。

是非ご覧ください♪

 

本日8月9日は

長崎原爆の日

です。

 

1945年8月9日 11時2分に

原爆が長崎に落とされました。

 

たくさんの方が亡くなり、苦しみました。

 

8月6日広島原爆の日にもブログを書きましたが

日本は世界で唯一の被爆国。

 

※稲佐山が見える長崎の街

 

核兵器の恐ろしさ、廃絶を訴え続けることを

続けていき、核兵器のない世界を実現していかなければ

ならないとつくづく思います。

 

※被爆したクスノキ

 

 →長崎人 福山雅治さんが2014年にこのクスノキの楽曲を発表しました。

涙が出ます。

こういう方々の影響力はこのように使っていただくと本当に有意義だなと思います。

(微力ながらワタクシも地道に発信中真顔

そして「KUSUOKIプロジェクト」としてクスノキの保護活動も

行ってくださっています。

是非検索してみて下さい。

 

~話を戻しますね~

 

原爆投下から75年が経ち、

体験された方々も高齢となり、

語り継ぐためには

我々、残されたものがそのバトンを受け継がなければ

なりません。

 

長崎に生まれ、小さい時から

被爆体験をいろいろな方から聞くことが

ありましたが、

戦争・核兵器に対しては

悲しみ、怒り、苦しみ、恐怖しか

感情が残りません。

 

※原爆の爆風で片足となった鳥居

 

テレビの祈念式典を見ながら、

先ほど黙祷し、長崎市長と被爆者の方の

お話・宣言を聞いておりました。

 

長崎田上市長は

核の現状に覚える危機感

「今こそ核兵器廃絶は人類が自らに課した約束であることを思い出すべきだ」

「コロナウイルスのように身近に起きてはじめてその怖さを

知るような」という例えで

核兵器が身近に使われて脅威を知るようなことでは

いけないと核兵器の廃絶を訴え、平和宣言を行いました。

そして、語り継いできた被爆者の方々に敬意の拍手拍手拍手拍手を送りました。

 

被爆者の深堀繁美さんは

被爆者には、もう限られた時間しかありません。」

高齢化を訴えながら、

ご自身の原爆の日、姉2人と弟と妹を亡くされたことや当日の体験談を語り、

フランシスコ教皇から

「長崎は核攻撃が人道上も環境上も壊滅的な結末をもたらすことの証人である町」

とし、まさに私たち長崎の被爆者の使命の大きさを感じる言葉をいただいたことを語り

長崎を最後の被爆地に」と

平和への誓いをされました。

 

今、こうして日々過ごしていますが、

戦争が起きると

苦痛と悲しみ恐怖の世界へと変貌します。

 

※被爆したクスノキを見る親子

 

国家間で起こす戦争の代償は

常に弱い国民が犠牲となり、家族を、愛する人を、大切なものを

失う世界です。

 

2度も原爆を落とされ、戦争で犠牲になった方々の無念を思うとき、

なぜ同じ過ちを繰り返すような答えが出てくるのか。

第3の被爆国を作ってはいけない。

戦争を起こしてはいけない。

 

いつまでの平和で自然が豊かな日本でありますように。

 

最後まで読んでいただきありがとうございましたニコニコ