「気のせいかも」で見逃してた違和感に、あのnoteが“名前”をくれた。
(家族の中で“察する側”だった私へ)

 

 

 

 

ふとした瞬間に、

 


「なんかおかしいな」と思うことってありませんか?

 

 

 

 

夫の返事が、いつもよりそっけなく感じた夜。

 

 


息子が「うん、別に」って言った時の、なんとなく冷たい表情。

 


食卓の会話が、ここ最近ほとんどないこと。

 

 

 

でも、私はいつもこう思ってブレーキをかけてきました。

 

 

「気のせいかもしれない」


「こんなことで空気を壊したくない」


「タイミング間違えたら、余計に悪化するかも」

 

 

 

――だから、言わない。


察するだけで、流す。

 

 


心の中でモヤモヤを抱えたまま、毎日を回してきました。

 

でも最近、ひとつのnoteに出会って


初めて「私の感じていたものに名前がついた」気がしたんです。

 

👇
 「うまくいかない家庭の空気」は、仕組みで変えられる。

 

『察する力は、つながりを設計する技術になります』
『違和感は、感受性の証です』

 

 

 

 

この言葉たちに、静かに泣けてしまいました。

 

 

 

私はこれまで、

 


“気づいてるのに言えない人”として、

 


どこかで「自分が神経質すぎるんじゃないか」と責めてきた。

 

 

 

でもこのnoteに出会ってから、

 


少しずつ、自分の“気づき”を大切にしようと思えるようになりました。

 

たとえば最近は、

 

 


「今日、ちょっと静かだな」と思ったときに

 


そのまま流さず、スマホのメモに“見たまま”を書き残すようになったんです。

 

 

 

息子が黙ってご飯を食べてた、とか

 


夫の声がワントーン低かった、とか

 

 

 

事実だけを、メモにしておく。

 


感情じゃなく、観察記録として。

 

 

 

この“小さな習慣”を始めてから、

 


心の中に、少しずつ“安心できる場所”が増えてきた気がします。

 

 

 

 

 

家族の中で、

 


自分だけが「気づいてしまう」側にいるって、

 


けっこう孤独だったりしますよね。

 

でも、

 


その気づきにはちゃんと意味があって、

 


仕組みにすることもできるんだって──

 

 

 

それを知れただけでも、

 


私はちょっと救われた気がしています。

 

 

 

 

noteはこちら🕊

 

 

 

もし今、

 


「気づいてるけど、言えない何か」を抱えてる人がいたら。

 

このnoteが、そっと背中を押してくれるかもしれません。

 

 

 

 

 

“察しないと壊れる。でも、察しすぎると潰れる。”

 

 

私もずっと、そんな場所で生きてきたけれど──

 

れからは、自分の感覚を「否定しない私」でいたいなと思っています。

 

 

 

言わなかった違和感に、
そっと名前をつけてあげるだけでも、世界は変わるから。

 

 

 

 

今日も、お疲れさまでした🌿