「気のせいかも」で見逃してた違和感に、あのnoteが“名前”をくれた。
(家族の中で“察する側”だった私へ)
ふとした瞬間に、
「なんかおかしいな」と思うことってありませんか?
夫の返事が、いつもよりそっけなく感じた夜。
息子が「うん、別に」って言った時の、なんとなく冷たい表情。
食卓の会話が、ここ最近ほとんどないこと。
でも、私はいつもこう思ってブレーキをかけてきました。
「気のせいかもしれない」
「こんなことで空気を壊したくない」
「タイミング間違えたら、余計に悪化するかも」
――だから、言わない。
察するだけで、流す。
心の中でモヤモヤを抱えたまま、毎日を回してきました。
でも最近、ひとつのnoteに出会って
初めて「私の感じていたものに名前がついた」気がしたんです。
『察する力は、つながりを設計する技術になります』
『違和感は、感受性の証です』
この言葉たちに、静かに泣けてしまいました。
私はこれまで、
“気づいてるのに言えない人”として、
どこかで「自分が神経質すぎるんじゃないか」と責めてきた。
でもこのnoteに出会ってから、
少しずつ、自分の“気づき”を大切にしようと思えるようになりました。
たとえば最近は、
「今日、ちょっと静かだな」と思ったときに
、
そのまま流さず、スマホのメモに“見たまま”を書き残すようになったんです。
息子が黙ってご飯を食べてた、とか
夫の声がワントーン低かった、とか
事実だけを、メモにしておく。
感情じゃなく、観察記録として。
この“小さな習慣”を始めてから、
心の中に、少しずつ“安心できる場所”が増えてきた気がします。
家族の中で、
自分だけが「気づいてしまう」側にいるって、
けっこう孤独だったりしますよね。
でも、
その気づきにはちゃんと意味があって、
仕組みにすることもできるんだって──
それを知れただけでも、
私はちょっと救われた気がしています。
もし今、
「気づいてるけど、言えない何か」を抱えてる人がいたら。
このnoteが、そっと背中を押してくれるかもしれません。
“察しないと壊れる。でも、察しすぎると潰れる。”
私もずっと、そんな場所で生きてきたけれど──
こ
れからは、自分の感覚を「否定しない私」でいたいなと思っています。
言わなかった違和感に、
そっと名前をつけてあげるだけでも、世界は変わるから。
今日も、お疲れさまでした🌿