「150キロを投げられるピッチャーだったら、こんな成績は残せなかったと思う」
針の穴をも通す「精密機械」といわれていた抜群のコントロール。高校3年の時に参加した春のキャンプ初日、当時エースだった外木場と池谷の速球を見て、「自分の速球ではプロには通じない」と悟った。
自分の勝負どころは「技術で打者を打ち取ること」持ち味のコントロールを徹底的に磨くことを信条とした結果、78年から88年まで11年連続2ケタ勝利、86年に最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞の栄冠に輝いた。
実働19年
515試合213勝141敗5セーブ 3.67
1982 最多勝 20勝(8敗1セーブ 2.43)
1986 最多勝・最優秀防御率 18勝(4敗)2.43