ひょんなことからアメブロを触ることになったので、10年ぶりに現状を報告します。
あれから、地元で職を得て営業課長まで上り詰めて充実した日々を過ごしていました。
会社は決して条件のいい会社ではなかったけど、やりがいもあり楽しかった。
連休は正月だけ、毎朝早朝出勤、薄給だけど、充実した日々でした。
そして、職場で出会った人と結婚もして子供も生まれ、一軒家も建てました。
人生の中でこれほど平和で充実した日々はなかったと思う。
しかし、その日常はある日突然崩れ去りました・・・・
その日は新築物件のキッチン周りを決めるために有給をとって、妻と母と家具メーカーに見学に行ってました。
野暮用を思い出し、途中会社に立ち寄った際に違和感を覚えました。
普段その曜日にはこない親会社の管理職の方が会社の責任者と何やら深刻そうに話していました。
そしてその翌日、衝撃の事実が発覚するのです。
Fくんが自殺した。
職場の同僚のFくんが30代半ばの短い命を自ら絶ったのです。
妻は同じ部署ということもあり、2人とも衝撃を受けました。
妻は何日か泣いていました・・・・
原因は何か・・・
そういえば妻が最近Fくんが元気がないと言っていた・・・
あの時話を聞いてあげていれば・・・
後悔の日々でした。
違和感。
最初に感じた違和感は、あの有給の前日の夕方のこと。
普段めったなことでは休まないFくんが突発で休みました。
工場長や工場リーダーは少し怒っていて、それでもみんな心配していました。
ふと一抹の不安を覚えて、私は工場長にひとつ質問しました。
Fくんは一人暮らしですか?
なぜそんなことを聞いたかというと、昔20代の頃に高校時代の同級生が1人アパートで病死したことがあったのです。
一人暮らしだと体の異変に誰も気付けないので、深刻な事態になることがあります。
そんなことがあったので、Fくんは一人暮らしか聞きました。
返答は両親と暮らしているとのこと。
ほっと一安心しました。
一応家族に連絡した方がいいんじゃないですか?
そして工場長は家族に連絡しました。
結果は・・・
「昨日から帰ってない。」
その時、事務所にいる数名の表情が曇りました。
「何もなければいいけど。」
「早まらへんたらいいけど。」
この人たちは何を言ってるんだろう?
家にいないということは、病気とかじゃなく少なくともどこかに生きてるってことだから、
仕事がしんどくてズル休みとかそういうことだから、逆に安心するところじゃないの?
これが最初の違和感です。
そして次の日、私は平和な日常に戻って新築の家具を見学に行き、その翌日、衝撃の事実を知ることになるのです。
鈍感な僕は気づきませんでした。
いや、どこかで何かおかしいとは少し感じていたのかもしれません。
仕事と新築購入と新生児の育児の忙しさで人のことに構ってられなかったのもあるかもしれません。
Fくんはいじめに遭っていました。
そして、ひどいパワハラにあっていました。
でも、最初はそこまでの確信もなく、ただただ違和感と怒りと無力感に苛まれて仕事も手につかなかったのを覚えています。
そして、私は親会社の人間に相談しました。
僕が何か察知し出したのを察知した、張本人の人間が圧力をかけてパワハラしてきました。
怒りが頂点に達した私は親会社に告発文を書きました。
そして何日か後、下された決断は、
私が営業課長の職を降りて、工場に入ること。
逆ギレした張本人のY氏と怒りが頂点に達している私をとにかく物理的に離した方がいいという決断でした。
会社組織では、必ずしも正義が勝つわけではありません。
いろんな人間関係が交差して、いろんな思惑があります。
いろんな相乗効果があり、組み合わせの良否があります。
私は人生の厳しさを教わりました。
その後は、私を辞めさせるべく、Y氏による執拗なパワハラが始まりました。
Y氏の部下の中で弱い人間はいじめも行なってきましたが、ことごとく跳ね返してやりました。
いじめはこちらがいじめられてると認めなければ勝てます。
いじめてきたやつの上をいき、こいつに関わると自分が損をすると思わせることができれば勝ちです。
恫喝してきたらさらに恫喝する。それで相手が手を出してきたら警察を呼んでこちらの勝ちです。
証拠をとろうと動き出した私の動きを察知したY氏は、次第にあからさまなパワハラをやめていきました。
私のメンタルと気迫に恐れをなした弱者たちも、次第にこちらの機嫌を伺うようになっていきました。
私についてくる人間も少しずつ増えていきました。
平和といえば平和。
給料も親会社の粋な計らいで営業課長の時と同等の額はもらえてました。
でも何かが足りない。
そもそも工場で働くために入社したんじゃない。
営業がしたかったからこの会社にきたんだ。
悶々と過ごす日々。
そんな時、転機がきました。
古い友人が副業を一緒にやらないかと提案してきたのです。
副業なんて何のことか全くピンときてませんでしたが、何となく本能でこのままではいけないというのは分かっていました。
そして、仲間三人で映像・ドローン・Web制作の三本柱の副業を始めることにしました。
私はかねてより興味のあったWebを担当し、独学してスキルと知識の習得に励みました。
続く